2015年11月12日(八段語録2594)
自信と臆病の交差点

 あっという間に一日が終わります。大崎市から帰って来る途中、色々と考えることがありました。大きくダイナミックに戦いを進めていくべきか、それとも石橋を叩いても渡らないかという事です。今の心境は石橋を叩いても渡らないという気持ちのほうが強いかもしれません。高い壁はなかなか超えることが出来ないのです。特に金銭となると、信用問題が発生します。確かに、冒険という事では、その中に人生の面白さを感じながら開拓するという事になります。例えば借金の取り立てに、耐えかねるようになった場合、全てを失ってしまいます。その方向を見通さなければならないという事です。
やはりこの歳になると、借金を抱えるという事に対しては、抵抗があります。若い頃は平気で無茶をしてきましたが、一歩踏み外したら大変だという思いになるのです。結構保守的になったと思うのです。現在の道場運営でも、ギリギリの線で闘っているのは本音です。
 極真会館宮城県本部を立ち上げたときには、相当な無茶を、継続してきました。大きな波が押し寄せても、それに対する対抗するだけの、エネルギーに満ち溢れていました。またその波の刺激を受けて嬉しくもなりました。そこに最大の希望を見出すのです。面白いとも感じたのです。男として実際、大波が押し寄せても構わないという気持であったのです。振り返れば、とてもドラマチックな闘いをしてきたのです。自分と現実がぶつかり、それをかき分けていくという事で、将来に希望を見出そうとしたのでした。借金はしまくりました。そしてその借金を踏み越えて、果敢に闘っていったのでした。重荷に思えば、自分の心を乱すだけという気持ちでした。
 ところで、今の心境はというならば、冷たい風当たりも、嵐も受け入れたくはないという心境です。全身を使って闘ってきた自分が、静かな、そして平和な日々を望んでいるようなのです。もちろん、今の極真会館の闘いも平坦ではないのです。数十メートルの高さで来る津波のように思う事もあります。確かに平安という事も考えるのですが、マイナスのエネルギーが渦巻いていることも認知しなければならないという事です。平穏なのは今だけであって、いつ何時、荒れ狂うエネルギーが内包しているかわからないのです。考えを持ち、あらゆる創造性を抱くことは勝手です。興奮したり刺激を受けたりするのも勝手です。しかし、着実な運営をしていかなければならないという事も事実なのです。そして、極真会館宮城県本部の運営は絶えず動いているのです。
 どっちみち、私が動かなければならないことは承知しているのです。動いて渦を巻いて、ちょうど、海流がぶつかるところで、あらゆる種類の魚が生命を得ているように、この極真会館宮城県本部を生かすために、動いて栄養素と酸素を与えていかなければならないと思うのです。当然一滴の水を見ても、そこには色はついていないのです。私もどんな偏見も色眼鏡もかけずに、純粋な気持ちで、無色透明な愛情を注ごうと思うのです。そうしなければ、自分が美しくはならないのです。それでも、海の水は塩辛いものです。私もちょっと塩辛く対応することも辞さないという事を心がけなければとも思うのです。そんなこんなと、考えながら、帰路に就いたのでした。