2015年11月9日(八段語録2591)
稽古が最高の贅沢

 今日も一人静かに稽古をするのですが、稽古をするまでに、おっくうで時間が過ぎてしまいます。心を定めて始めると、あらゆることを考えてしまいます。突き一本、蹴り一本、そして何十回も何百回も突き続け、蹴り続けると、あらゆる想像が頭に浮かんでくるのです。一番に思う事は、稽古は心身ともに健康に良いのです。さらに、身体を動かすと、身近な事から、一生を回想することや、多くの事が頭の中を去来します。その時間を持てるという事は、武道人ゆえの事と思っています。今はもとより、自分の過去を分析して、未来のビジョンに対してプランニングが出来ます。稽古は自分にとって、最も価値ある時間になるのです。もう年齢ですから、稽古で技に磨きがかかるという事は無いと思うのです。それでも威厳を保てて、なおかつ自分自身を静かに顧みることが出来るのです。それが、私に必要であるから稽古を継続しているという事です。
 さて、私の稽古環境は最高の環境であると思っています。身体を動かしやすくいし、静かであるし、誰にも邪魔されません。ましてこの稽古の時間は携帯電話を切っているのです。良い環境にしなければならないという自覚があるのです。しっかりとして空手着で、身体にしっかり合っています。そして、色々な技を行う上で、自分をしっかり見つめることが出来る鏡まで準備しています。稽古をする環境に良いものだけを整えます。おそらく、自分の稽古にすべて良いものを揃えて、汗を流す指導者はいないのではないかと思うのです。粗雑な環境で稽古しては、心も貧しくなってしまいます。精神生活と稽古は同じことです。世の中で成功しようとすれば、良い状態を保つという事が、いずれ良い収穫が生まれるというものであると思っているのです。
 ところで、そのような意味では、最高に素晴らしい家庭を築こうと努力します。愛情はお金では購入できません。ただ積み上げていくことなのです。良い夫婦関係、良い会話、妻といる時間は至福な時間にするのです。共に築き上げる夫婦関係は、お互いに気持ちが噛み合って、素晴らしい収穫をもたらします。中には夫婦関係が冷えているという家庭もあると思いますが、私の人生に妻が食らいついてきます。私が理想と愛情を追求している限り、月の光のように、妻の輝きが増してくるのです。妻の責任にはしません。あくまでも、自分の責任で愛情を放つのです。それは、私が輝けば、妻も輝くであろうという相対的な気持ちになっているからです。そのような意味では、妻に要求するという事を捨てて生活しているのです。そのような意味で、妻が私に食いつくようになっているのです。そんな事を表現しているのです。
 今日も精神面の強化に努めた一日でした。最近思うのですが、妻が広島の実家で介護の世話をして、一か月目になろうとしています。それで、感じるのですが、娘の順香が、妻そっくりになって来ているのです。良くもこんなに似て良いのだろうかと思うほどです。お父さんと呼んで、私を完全に支配下に置いてしまっています。遺伝とは恐ろしいものだと思うようになっています。そんな一日を過ごしてみて、新たな創造性の開拓をしていこうと思うのでした。