2015年11月7日(八段語録2589)
熟練の行き先は余裕ではなく更なる真剣さ

 ちょっと反省することを振り返る日にしました。かなり失敗が続きました。その原因は、熟練の行き先が余裕を持って対応するという事のように思ってしまったことです。結論として、そうではなく、一生懸命に、そして真剣に取り組むという事のほうが賢明であるという事です。というのも、余裕が手抜きを生み、真剣なインパクトにはならないという事です。そんなに長くない人生、余裕綽々という意識は、心の隙を開けることがあっても、決して、良い成果には結びつかないという事のように思えたのです。何事も、ひとりでに開かれるということは無いのです。
心が辛かろうが、身体が思うように動かなかろうが、何よりも自分が先頭に立って、道場の最前線に立たなければならないという事です。極真会館という暖簾を張って、世間の荒波に出ていき、その試練と闘わなければならないという事です。そのような勇気がなければ、決して次の目標に向かう事はできないという事です。
 さて、全体の目標と個人の目標が表裏一体でない限り、発展はあり得ないのです。全体も個人もレベルアップを願うような有機的な関係が生まれるように努力するのは、全員ということなのです。そうでなければ、東北をリードし日本をリードし世界をリードするなど言えるはずはないのです。日本の文化である武士道が世界に影響を与えて、あらゆる国の文化、言語が調和する時代はすぐにやってきます。オリンピックの参加もその一つになるのだと思います。
そのような意味でも、武道精神に則って、極真会館の管理をしっかりし、その道場の運営を正しくしなければならないという事です。最近も大きな武道組織から除名されたり、謹慎処分を受けたりする団体がありますが、その大半の理由は、女性問題であったり、公金横領であったりしているのです。そのような意味では、決して武道精神という中心軸を外すことがないように全員で戒めたいものです。
 私自身、極真の偽らざる、正しい精神に位置し、その伝統を広げていかなければならないという事です。そして、この精神を十分に道場生に捧げ、理想の倍化と実現化しなければならないのです。このような姿勢が道場生との距離を超越します。退屈な責任者としての歩みなど考えることもできません。この極真の可能性を悟った時には、全身が輝くばかりに変わるはずです。決して強さを誇示して、いじめるような姿勢からは生まれてきません。
 そんなことを考えながら、午前中は農作業を行い、マンションの理事会に出席して、阿部先生が東口の交流センターの代行をして下さるという事で、トレーニングに励んで、ネッツトヨタでプリウスの充電をしている間、ブログを書いて、一日中真剣に忙しくしました。その姿勢が、私の気持ちを引き上げてくれます。スタッフからも良い知らせがあって、スマートホーンに問い合わせが入ったり、新規入門者として始めるメンバーが増えたり、様々に良い傾向が沸き上がっているという事でした。就寝に就くともう一分とかからず寝入ってしまいました。