2015年11月4日(八段語録2586)
私に従ってくる道場生へ

 極真の道は、誰が教えるというものではないのです。自分で行ってみないとわからないという事です。私は、過去の道場の事を表現することが出来ますが、それと道場生が行く極真の道とは、全く違うかもしれないのです。それゆえに、自分が訪ねて求めていかなければならないという事なのです。ただ言えることは、四十数年の蓄積は、私にとって、誰も奪われないし、私の脳裏に焼き付いていることなのです。そして、その修行が今の自分を支えているという事です。それだけに、過去の極真がどうであったかという事に関しては、よく知っているのです。しかし、それを細かく教えるという事はしないのです。理由は、私が来た極真と、これから道場生が訪ねていく極真は違った色合いがあるからなのです。それでも、十数年に及んで、極真と共にある私をブログで表現してきました。道場生の皆さんに参考にして欲しいのは当然のことなのです。
 さて、私がここまで極真の道を来たのは、この道が私にぴったり合っているという事だと思うのです。自分を最後まで磨き切るという心にさせてくれます。稽古を通じて、人となりうる開拓をしてきました。今の自分があるのは、この修練のお陰という事です。そして、しっかりとした人生観を形成させていただいたという事です。その実りを、実際に地域社会の為に貢献してきました。多くの人に感謝していただきました。そして、この修行が社会の為になるという事をまざまざと感じさせられたのです。それはあくまでも私という個人が体験した極真なのです。そうしたならば、道場生一人一人はまた違った経験をするのではないかと思うのです。それだけ全ての人を内包するだけの深い内容があるという事です。この極真の尊さをしっかり知り、生命の源流に出会えるような衝撃があるはずなのです。
 ところで、今日は朝から、行事が重なって忙しくしていました。石巻にでかけ、用事を済ませて、前線に立ち、新規入門者の為の歩みをして、夕方からは、所用に追われ、疲れ切って家に帰ってしまいました。当然、すぐにぐっすりと寝床に就いてしまいました。一日が、そして一週間があっという間に過ぎていきます。自分自身と社会貢献している自分が、生命の源泉で結ばれるようにと、自分の気持ちにパイプを引いて、豊富な生命の源泉にしたいと思っているのですが、何をしてきたかと自問するばかりです。とにかく今言えることは、「私に従って来なさい」という事です。それでも詳しく教えることはできませんが、道場生が自分で探し求めて欲しいという事です。そして求めて必ず発見するであろうと確信しているのです。それだけに、私を信じて前へ進んで欲しいという事です。その途上でとやかく言いませんから、頑張ってという事です。
 そのような気持ちで、晴天の一日を過ごさせていただきました。このようにして、いろいろ表現できるのも、ボケ防止にはなります。そして、過去表現してきた内容を反芻しながら、新たなる道に挑戦という事です。私としても、人生の挑戦者なのです。円熟などしていません。泥臭く、我武者羅に人生の開拓をしようとしているのです。後戻りするはずはないのです。広島では妻の千順さんが、しっかり家の事を対応して、来週には帰ってきそうです。もう一か月近くなるのです。やはり寂しさが募ってくる毎日です。