2015年11月3日(八段語録2585)
金銭より魂

 この道場は青少年の健全育成という尊い目標をも持って、日々活動しています。目標が明確で、志を持った運営がなされているのです。この道場の運営は、常に正直でなければならず、神聖な歩みをしているのです。それに携わる者は、うそをつかず、間違った方向に行かないように絶えず気持ちを正して歩んで貰っているのです。この道場の運営は一貫して、このような姿勢で育まれてきました。ですから、商売をしようとする気持ちは全くないのです。そして、集まった会費は、私が管理するのではなく、税理士の菅野師範が適正に対応しているのです。その携わる者の品格が問われますが、今まで培ってきた極真の精神のレベルを落とすことはないのです。ネオン街や飲み屋を歩き回るなど、考えることなどできないのです。私の場合ですが、酒もタバコも嗜みません。我が家でさえ晩酌をするという事もありません。理由は、飲みたくないからという事や吸いたくないという事ではなく、極真の道を究めるのに忙しいからです。ぼっとしている時間があるのであれば、自己管理に時間を費やすのです。
 さて、私は、品性ある生活を、極真の門を叩いてからというもの続けているのです。実際に人が眠るとき眠らず、人が食べるとき食べず、人が休む時にも休まずという生活を継続してきました。お金を稼ぐことを願って働いてきたことはないのです。お金は、必要な事だけで足りるのです。そしてできるだけ節約・節制すれば済むことです。お金そのものに何か意味あるように思う人もいるのでしょうけれど、普通の生活が出来ればそれでいいのです。よく言うならば、一生懸命活動してきたお金は、道場生が成長するために使われるようにするのが私の願いという事です。そして、その道場生が世界を愛し、世界の為に働くところまで成長するとしたならば、それが相応しいお金の使い方であると思っているのです。お金は道場生を育てるために必要であると思うのです。
 ところで、私がこの世を旅立つとき、何を持っていこうというのでしょうか。それは、道場生を育てたという業績と、道場生の魂を抱いて、何も持って行かなくても、満足だけを持って、行こうとするのです。どうせ焼かれて灰になるのですから、身軽にこの世を旅だとうという事です。家族や道場生と共に歩んだ人生を引っ提げて、身軽に旅立てば、魂があるとするならば、幸福に満ち溢れた世界に行くと考えればよいだけの話です。何の執着も地上にありません。人生を経験してきてわかってきたことですが、幸福はお金ではなく、常に志を持って歩むことで、幸福というものは待っているというものです。探し出せないとするならば、間違った人生を歩んでいるという事です。私がポケットに入れているのは一体何かと自問するならば、道場生を教育しているという業績という事なのです。それが私にとっては黄金に輝いている宝石なのです。
 今日は、あいにくの雨になりました。それでも自分から発する輝きが曇らないように、鍛練に勤しむのです。もっと楽しいことがあるのではないかと問われますが、私にとって、子供たちに日本古来の武道精神を身に着けてもらってこそ、未来に輝く人になると思っているのです。それが最大の喜びなのです。こんな聖業を天が与えてくださったという事に感謝なのです。まだまだこれからですが、踏み出す一日という事です。