2015年11月1日(八段語録2583)
人生の最高の走りをするマラソンランナーに

 今日は真っ青な青空です。風はなびいてはいますが、農作業には打って付けの日和です。大量に消石灰を購入して、畑に散布するのが今日の主な仕事です。心にも車にも充電して、今日の目標を定めての出発です。昨日は幸町の教室で、指導員の先生と対話をしていました。毎日表現しているブログの話に及んで、もう少し優しい表現をしようと思うのだがという私の切り口からでしたが、その先生にとっては、今の率直な表現が良いという事でした。私の「表現を苦慮する進歩」は無くなりましたが、きつい表現のままで、了解されたという認識のもとにこれからも書き続けようと思ったのでした。この初級教室の子供達も、オレンジ帯を締めるようになって来ています。しっかりした姿勢が身について、お遊び教室からの卒業のようです。この教室の指導員の先生も心を配りながら、極真の伝統を伝えていました。
 さて、人間ですから、憤りが付き纏うという事が多いのです。心に許容できない事に関しては、無視という事で対応せざるを得ません。対応すると息が詰まり、五感のすべてが狂ってしまいます。不条理な事に関しては、説得してもどうしようもない人種には、自然屈服という事は至らないようです。役目が終わるまで、ただ忍耐という事で整理しています。そうでなければ、心の平和は保てません。私は不条理の長いものに巻かれるという事は、この極真の精神を身に纏っている限り無理なのです。その結果、どのように思われようが、その不条理の環境から逃げようとはしないのです。この混乱の中にいる自分を助けてくれるような人が現れるとは思っていません。身もだえしますが、円滑な活動の為には仕方がありません。そう思うだけで、極真精神は地上最強であると確信さえ芽生えてきます。
 今日も朝起きてから、心は一つです一生懸命生きるだけです。その組織からするならば、扱いにくい存在になると思いますが、住民の立場からするならば、奉仕者であり、為に存在しているという事です。別にその人物と闘う気持ちはありません。無駄なエネルギーを消耗するだろうし、意見を述べても、その組織の自己正当化が関の山です。理由は、そのようなポジションに付きたくて、人を押しのけても構わないという気持ちがおおありだからという事です。人は人生のマラソン選手のようなものです。こんな些細な事で、ゴールを諦めるわけにはいかないのです。そんな事で、転んでしまえばおしまいです。もちろん、マラソンのチャンピオンになるためには、一生懸命走るという事です。私が最高の走りをしてこそ、多くの人に共感を得ることが出来るのです。そんな気持ちが強い一日です。走りぬきます。そして多くの人の賛美を受けながら、人生の最高の賞を取ろうと思うのです。
 人生を出発するにおいて、極真精神は決して間違っていなかったという証拠を見せつけようと思っています。この精神は、間違いなく、善良な人達を誕生させます。この精神を悪用しようとすれば、それでおしまいです。それでも、道場に入ってくる人を拒もうとはしません。心が変わるまで教育しようとするからです。本当は日本刀があったら、一気に首を落としてやりたい道場生もいます。それでも、この極真精神に心から継承していくことが出来る人材に教育しようと努力は諦めません。今日は、十一月一日です。節目ですので、心を入れ替えて、人生に挑戦です。寄り道することなど考えていないのです。