2011年11月25日(八段語録1511)

積極的人生観(84)
 新たなる出発、広島へ

 深夜高速バスに乗って仙台発で新宿へ到着です。JR新宿駅より始発より浜松町を目指します。四〇分程でモノレールに乗って、六時五五分発のJAL広島行きの旅客機に飛び乗っています。機内では、高速バスの疲れが出て、数十分休んでいました。それでも、女性の乗客乗務員のドリンクサービスが回ってくる頃には、目覚め始めていました。何気なく上空からの景色に見とれていると、瀬戸内海の島々が眼下に美しく見えてきます。しばし景色に見とれていましたが、直ぐに広島空港に到着という事になりました。短い旅ですが、未来が開けていく旅のように思えていました。
 空港ロビーの喫茶店でモーニングを頼んで宮城師範を待ちました。ほどなく到着して、今の広島の状況を伺っていました。その後、近くの温泉に入りながら、糖質ゼロの健康講演会を私がするのです。今回今野県会議員の応援で副選挙対策本部長をしていましたので、議員の証が鮮明に残るのです。特に個人演説会での話は強烈でした。糖尿病と高血圧でインシュリンを十年打ち、その後透析に入ったというのです。医者からは、足の切断を言い渡されて、車いす生活をする状態まで追い詰められていたのでした。
 最後の段階が示されたのです。それが腎臓の移植という事だったのです。娘さんが、腎臓の適合に合格したという事で、娘さんの一つの腎臓を貰い受けた手術に臨んだのです。宇和島の徳洲会病院に行くと、インシュリンを打つことをしないように指示されたというのです。その理由は、糖質ゼロの食事を出され続けたというのです。三日目には、血糖値が落ち着いて、平常値を示すようになったというのです。その後に移植に成功して、今回の県議会選挙に出馬を果たしたという事なのです。
 それ以来、間違った医療に対しての警告を発する議員となったのでした。透析医療は、一か月の費用が五十万円かかるそうなのです。それが一年続くと六百万円の出費となるのです。まさに、医療機関としては、儲かる医療を目指すことができるというのです。それに対しての警告を発しているのが今野議員という事なのです。このような状況で、糖質制限食を進めているのです。
 私も選挙運動期間中から、コンビニで食品を買う時には、裏のラベルの炭水化物の量の表示が気になり始めたのです。そして、野菜や、肉、魚といった食料を積極的に取り入れるようになったのです。自然に炭水化物が多く含まれている米、パン、うどん、そば、パスタといった食品は食事から除外するようになっていました。このような話を宮城師範と話したのでした。
 その後新幹線に乗って岡山に到着しました。昔の仲間の津高さんと会うためなのです。十二番目本部長にしたいと思っているのです。大阪での彼との出会いは、本当によかったのです。空手も食事も共に三年間一緒でした。今回は夫婦での出会いとなりました。元気そうでしたが、もう一度原点に立って極真の道を歩むように励ましました。最後の決断は本人ですので、全てを委ねて再び広島に帰ってきたのでした。