2015年10月29日(八段語録2580)
指導者の自信が道場生を飛躍させる
ヤングマスターの部門で阿部先生が優勝しました。二十年の間、極真の道を究め続けた成果が表れているという事です。今回の阿部先生の延長を制しての勝利は、本人はもとより、道場生にとっても新しい歴史の一ページになりました。道場生がこの新しい歴史の目撃者になったという事です。本人の決意なくしては、優勝の目標に近づくことすらできなかったと思うのです。生命を賭けて、試合に臨んだという事です。そして、この優勝を契機に、極真の伝統を見せて誇れる指導者としての、第一歩を踏んだという事です。もちろん、自分だけが栄光を受けようとしては生き残れません。生死の境をさまよいながら、この経験を道場生に伝え、指導してこそ生きるというものです。それがまさに、極真の指導者としての姿勢という事です。
さて、阿部先生は、覚悟して試合に臨み続けました。そのような伝統は、私達の側面であり、阿部先生から、他の選手の人達に受け継がれていく内容です。阿部先生が生きている限り、息をしている限り、決意した道にたどり着くのです。それだけに、今後の責任はより重くなるという事も覚悟すべきです。なぜならば、既にそのように決意して試合に臨んだはずです。決死的な思いで試合をして、まだ死んでいません。生きているのです。そしてもっと覚悟して、次の試合に臨み、かつ道場生に対して、傲慢にならずに謙虚に指導しなければならないでしょう。そして、もっと阿部先生は行くことが出来るはずです。死んでいないからです。そして最後の言葉は、道場生と共に歩めて感謝という「ありがとう」という言葉であると思うのです。
ところで、試合では、打たれ叩かれて手足の筋肉は痛み、あらゆる打撃で腫れあがっていると思うのです。それでも、優勝したという事を考えれば「ありがとう」という言葉だけが残るはずです。まだ死んでいません。まだ息をしているのです。もっともっと極真を極めることが出来るのです。手足を技で使いすぎたからと言っても、顔面を殴られたとしても、気を失うような状況や、頭に血が上った場面でも、阿部先生から出てくる言葉は「ありがとう」という言葉でしかないという事です。そのような伝統を立ててきたのが宮城県本部であるからなのです。このような伝統を無視するならば、極真でも武道でも無くなってしまいます。道場生が、この伝統を受け継ぐならば、栄光と繁栄が約束されると思うのです。
このような一日を与えてくれた阿部先生に感謝です。大器晩成を地で行くような道のりだと思います。これからが人生の成熟期という事を肝に銘じて頑張ってほしいと思うのです。今日は、ちょっと私の稽古もお休みしましたので、時間が空きました。それで、早めにブログに表現したいと思いました。明日は、指導者研修です。世界に羽ばたく極真精神として、記憶に残したいという思いになります。最近は、本当に晴天が続いています。八月後半からの雨模様の日々とは違うようです。人生に勝負した時に勝利した時に得る大きな恩恵を無にすることなく、着実に推し進めていく人生として鍛練を重ねて欲しいと願うのでした。
会場で、これからの指導者として活躍して欲しい指導員の恋人に出会いました。微笑ましい限りですが、辛口で戒めてしまいました。老婆心が邪魔してしまいました。