2015年10月28日(八段語録2579)
私の文章に対して

 極真空手において、実践し続けて、長い期間が過ぎましたが、現象面を表現した指導者の本はありましたが、武道精神に則って、戦った深層心理から表現している文章に出会う事はありませんでした。結局、技術論や方法手段に沿った内容でしかないという事です。そのような意味では、武士道という側面からの切り口で、思想性と実践性を強調してきた文章は必ず光ってくると確信しているのです。私が表現してきた文章は、今までの道場での経験を踏まえた言葉ですので、この言葉が道場生の力になると思っているのです。山形の田畑道場での活躍はどの道場よりも目を見張るものがありました。日ごとに年齢は積み重なっていきます。私が死ぬ前に出来るだけ、言葉を残していかなければならないという信念があるのです。そうしないと、道場生が、私以上のレベルに達した時の発射台にはならないという思いが強いのです。できるだけ、多くの道場生が、私を越えて、世界に飛び立って欲しいと思うのでした。
 さて、このような発想になるのは、極真空手を完成させようとする気持ちが強いからなのです。もちろん、伝統の継承という事に力を入れてきましたが、八段という段位をいただくようになると、人類の為の貢献という事を考えさせられるのです。七十二億の人類という観点は、もっと創造的に発展させていく道がないのかという事を模索するのです。私のブログにヒントを得て、道場生がより発展的な事を実践していくという事も大切であると思うのです。何事もホップ・ステップ・ジャンプです。志を一つにするとするならば、道は開かれるのではないかと思うのです。そして、不思議な武道精神の力で、総動員されていく時が来るのではないかと確信しているのです。
 ところで、私が語り続けて継承した弟子が、離れて同じ事を続けたとしても、伝統の継承にはならないと思うのです。まして、世間が認めないと思っています。私が極真で闘ってきた実戦史を述べているので、最前線の言葉であると確信しているのです。必ず、共に継承しようとする心で、伝統を受け継ぐとするならば、興奮するぐらいのパワーが生まれるのではないかと思うのです。手前味噌で申し訳ないのですが、私のブログは、普通の言葉とは違うのです。困難な青春時代をはじめ、道場でのあらゆる迫害を跳ねのけて語っているのです。本部の移転に関しても、限りない悪意から余儀なくされたのですが、何の弁明もせずに退きました。たった一人からの迫害の試練でも真摯に受け止めようとするのが、極真会館宮城県本部なのです。  
 ブログで表現している言葉は、四十年以上もの間、苦闘し続けた結実であり、弟子としての成長のための高速道路なのです。そのことを十分に理解して取り組んで欲しいと思うのです。あらゆる時に苦闘した結実が、言葉共に、心情圏を覆うのです。そんな気持ちで表現しているので、誰にも理解できると思っているのです。それでも表現が硬すぎて、読みにくいという事に関しては許しを請うばかりです。必ず、私が体験したことを肥やしとした教育力でもって、勝利を目指せればと思うのです。汗と涙が溜まっている文章と思って、読んでいただきたいと思うのでした。