2015年10月26日(八段語録2577)
人生設計
月曜日という事もあって、この週に向かう姿勢を構築しようと思うのです。それで、気持を爆発してみましたが、何も起こりませんでした。そう思っているうちに、この年齢において、どのようにしなければならないかという事を考えてしまいました。これだけ、医療が完備され、人の生命が大切にされている時代なので、生きるという事に関して、可能な限り維持できるのではないかという事です。そこで、歴史上参考になるのが、百二十歳まで生きたと旧約聖書に書き記させているモーゼです。昔、医療も発達していなかった時代に、高齢になるまで、民族の指導者であった人物を思い起こしたのです。エジプトという国で奴隷として虐げられていた民族をカナンの理想郷へ導いたとされる人物です。
このモーゼの生き方は、簡単に表現するとパロ宮中で王子として生活した四十数年、エジプト人を殺したという事で、宮中を追われてミィデアン荒野で彷徨した四十数年、民族をエジプトから脱出して民族を指導した最後の人生、それに照らし合わせようとするのは、ちょっと恐れ多いのですが、それでも、そんな人生に憧れるのも事実なのです。イスラエル民族の解放者として、歴史に刻まれているのです。何に魅力を感じるかというならば、一貫して、民族の為に、貢献した人生という事です。自分の幸福よりも、民の幸福を求め続けた人生という事です。見るに見兼ねて、道徳的戒律を十戒という事で表記し、正しい人としての在り方を提示して、民族をまとめたという事です。そんな姿に憧れたという事です。
ところで、私自身をモーゼに見立てて考えるとするならば、我が家の長男として育てられ、親の保護のもとに、あらゆる帝王学を身に着けた四十歳までの人生、それから、実家に帰ってきて、大学院で経済学という観点で世界を研究して極真会館宮城県本部を運営している今までの期間、そしてこれからという事です。そうすると、八十歳まで、あらゆる研修と研究をして、彷徨いながら、内容を身に着け、それから、大きな使命をもって、歩む人生が四十年あるように意識するのです。これも人生の設計としては、良いのかもしれないと思うに至っているのです。やはり誰かの人生をモデルにして、そのようにはいかないまでも、人生の苦海を乗り越えて、理想郷へ向かうというシナリオが出来そうです。私の場合、極真会館という存在とそこに集った道場生がいるという事です。それに関連させながら、自分の人生を展望してみたのでした。
とにかく、今の自分に対しては、不足という事しかないのです。指導者として、あらゆるピンチに対応できるかというならば、まだまだ修行が足らないという事です。その修行の期間が、八十歳までとすると、まだ準備が一八年あるという事です。この間に「お迎え」が来るかもしれませんが、それでも、そんな人生設計を思い立ったのでした。こんな姿勢を取るという事が、長生きの秘訣かもしれません。人生に対して、まだまだ、後悔と悟りがある人生にしたいという事です。それは今に満足していないという事です。今日も、誠実に歩んだのです。真心を込めた一日という事です。この一日は、誰にも奪われたくないという気持ちにもなります。この極真会館宮城県本部を運営している限り、誰にも負けない精誠を尽くしていきたいという思いになります。そんな事が去来する一日でした。