2015年10月23日(八段語録2574)
極真の切り口で世界を救う
妻の千順さんが広島の実家に出かけ、娘たち二人も一緒に行って、二週間の期間が過ぎてしまいました。ちょっと寂しいものです。それでも、人生の目的を多くの人の為になるように準備をして、私の影響力が人々の役に立つようにと、家族が離散していても思うのです。それ故に、今日も、与える内容を蓄積しているという事です。何が不足なのかというならば、自分の能力の開発が、この年齢になっても未熟であるという事です。確かに何も内容がなければ、奉仕活動として手伝う事になると思うのですが、導かれて出会ったのが、極真空手道という、自分にとって、出会うべきして、「我が意を得たり」素晴らしい出会いでした。
この極真との出会いによって、自己練磨が、社会の為に役立つという方向性を得たという事です。その為に、「自分の利益だけ」を人生反映するようにはならなかったのです。そのような意味では、自分の理想に反してはいないのです。極真の道を究めたがゆえに、断固として、家族を愛し、犠牲になり、道場生の為にも生きることが出来たという事です。家族が留守して寂しいという事は心に影を落としていますけれども、仕方がありません。
さて、それでも理想的な生き方を求めて活動している今日という事です。それはとりもなおさず、培った極真の精神で、多くの人の為に存在したいという事です。そして、この精神が世界の為のギブエンドテイクの法則に則って、潤滑に大きなサークルを描くと確信しているのです。これからの理想は、この極真をベースに永遠に増し加わる繁栄のプロセスがあるという確信なのです。
スタッフとの会話も活動も滑らかです。大きな理想を描いているからという事です。そして溢れんばかりの深い喜びを共有しているのです。これが幸福感の充満する人生であると確信しているのです。一人一人が、自己管理をするならば、過ちを食い止められるという事です。その過ちだけが心配なだけです。
ところで、多くの人の関係を垣間見るのですが、ほとんどが「わがまま」がすべてを崩壊しているように思うのです。そして、そのような利己心は不調和を生み、それは互いに苦しみと悲しみを爆発させます。誰しもが、「わがまま」なのですが、そこを極真精神で、チェンジしていかなければならないと感じています。色々と思うのですが、「わがまま」を通うそうとすれば、策略にはまり、悪党と共謀し、だまし、うそをつくという事になります。という事は、自分の為に他人を破滅させることになるのです。私は分裂と崩壊と見るに見兼ねる問題を少なくしていければと思うのです。確かに極真では不十分ですが、それでも、切り口として選択したからには、一生通していきたいと思うのでした。
さらに、極真会館宮城県本部が、自体の利益と幸福だけを追求しようとするならば、私達も存在することが出来ず、必ず滅びるのではないかと思うのです。私自身の心構えとしては、私の生命、私の心情、私の魂を与えていくような人としての在り方を貫き通したいと思うのでした。そして、それが実践できる舞台が道場という事です。そのような理想の版図を広げるために日夜生活しているという事です。妻の千順さんが留守の間、手伝って下さる婦人の方に、心から感謝しているのです。もう一週間近くになります。慣れない事であると思うので、できるだけサポートしていきたいと思うのでした。