2015年10月19日(八段語録2570)
変化が激しい日々

 結局は、妻の千順さんと娘の順香、文誉が広島に出かけていくようになりました。そうすると、大変な事になってきます。朝の食事から、夜の食事を下宿の人に出さなければならないし、下宿棟の風呂・トイレ・廊下と掃除を私がしなければならないという状況です。おりしも、根白石の畑の家に住んでいる婦人の手伝いもあって、食事の件は何とかクリアすることが出来ましたが、家事を中心に、私が動かなければならないようになっているのです。このような緊急の時に、いろいろな事が起こるものです。親父の本家の長男がガンで亡くなったという事、お通夜が21日にあり、22日に告別式が緊急に入ってきました、直系ですので、森家の長男として対応しなければならないという事です。人生いろいろとあるものです。それでも、あるべき人生の備えを成していきたいものであると思うのでした。
 こうして、天地に生かされ続けて、六十二年、まさに私にとっては有意義に過ごさなければならないという事です。人として夢ならぬ夢を成就できるときであり、私としての新世紀という事です。ほかの世紀には私は住んでいませんから、善に生きる良心家として、今の時代に全うする人生でありたいという願いがあります。色々な事情が降りかかってきたとしても、理想を望みつつ、身近な距離としての実現に向かって推し進めていきたいと思うのです。いかに人として生まれたことが、尊く、喜ばしい事であるのかという事実を表現したいという事です。極真の基盤は、希望に燃えて「愛情と極真」を成就するのです。手に手を、肩に肩を並べて、新しい理想を夢見て成就するという事が可能であるのです。そのような希望を抱いて過ごすべき年齢を迎えているという事です。
 ところで、過去の時代は、戦争や闘争で塗られてきた時代ですが、私の住んでいる日本は、七十年、平和に安定してきたのです。それも素晴らしい時代に突入したという実感をしているのです。この時代に生きている私達は、いかなる悪人であったとしても、更生保護の理念が伝わり、悪事を自覚して、良心の芽があるのです。そして、社会へと復帰することが出来るのです。努力さえすれば、すべてが愛らしく、嬉しく、美しい拘束のない時代になっているのです。今まで人として願っていた自由が目の前にあるのです。かくして、天地自由人であり、理想人としての希望は全うされるのです。今の時代は、どんな人でも、夢や理想が湧きいずるようになっているのです。今は、このように高い年齢に達してきている私としては、指導者であり、求道者でありますから、誰にも頼ることが出来ないという事です。
 そのような意味でも、しっかり、今までの信頼を拠り所にして、清い良心の判断に身を任せて、歩もうという気持ちになります。もう誰からも干渉を受ける年代ではないのです。新しく、改革の烽火に油を注ぐのが自分自身であるという事です。極真会館宮城県本部では、道場生も充実し、スタッフも満足できる体制を整えていくという事が急務であると思っています。そして、打ち合わせをしながら、推し進めていく方針に対して、全力で傾注したいという事です。また、会長が明日退院するという知らせを受けました。本当に良かったと思っています。良い事、よくない事、すべてを背負って歩むのが人生であると、心がけて行きたいと思うのでした。