2015年10月18日(八段語録2569)
宮城野祭り
恒例の仙台市宮城野区の祭りがありました。快晴でさわやかな秋晴れです。そこで、私の参加している活動、社明・少年補導員・消防と様々なブースを開いて、会場を盛り上げていました。私は、消防の梯子乗りを披露するという事で、消防署に朝早くに集まって、練習を重ねていました。梯子乗りは、乗り手と支え手が呼吸を合わせないと、梯子は結構高いので、事故を起こしかねないのです。そのような理由もあって、午前中から梯子乗り披露の為の準備に余念がなかったという事です。
ここでも、最も大切なことは、一致団結という事です。私の場合は、乗り手でも支え手でもない、纏の担当なので、しっかり一致団結する様子を応援するような立場という事になります。もうすでに纏振りを担当してから十数年になります。最も梯子乗り隊として、私個人としては、向いている責任分担という事です。私はこの消防団で、色々な出来事に出会ってきました。そして、その関係を抱いて、六十五歳定年まで頑張るという事です。人生のメインが消防団で無かったという事で、胸を撫で下ろしているのです。それだけ納得はしていないという事です。
さて、個人的な思いはどうあれ、梯子乗りが失敗してしまったら大変な事です。それ故に、自分自身を律するような思いが大切になります。気持ちを引き締めて臨むという事は、当然のことなのだと思うのです。そして、纏を大きく振りながら、その場が引き締まって、披露できる場にしようと思うのでした。脚光を浴びるだけに慎重に取り組むという事が必要という事です。秋晴れの、最高の日和に、このように市民の前で披露できるという事は、仙台市にとっても、私たち消防団にとっても意味ある事であると思うのでした。
もちろん、私のボランティア活動に試練のような事が起きているという事もあります。それを他人に責任転嫁しようとは思わないようにする意識です。やるかたない気持ちを、整理して、結局は公的に活動することが出来るようにしたいという結論なのです。プライドがありますから、気持ちが、折れるという事はありませんが、それでも理不尽を抱えてのボランティア活動という事になります。
午後からは、集会に参加という事で、これもそれなりの意見があると、何かしら言いたくもなるのです。それでもじっと堪えて、自分が思い通りにならないのも仕方がない事と、是認するという事に重点を置いているのです。色々感じることが多い日ですが、それでも大切な一日である事は間違いないという言事です。
極真の行事としては、富谷町成田公民館で、その地域の少年部の空手の演武が行われました。かなり北山事務局長の「肝入り」で進めてきたので、これもまた成功裏に終わることが出来ました。地域社会の為に歩んできている極真をアピールすることが出来たのではないかと思えた報告でした。
今日の夜中は、娘の順香も広島のおじさんの最後を見届けるという事で、高速バスで出発しました。見送りに行きました。そうすると、息子夫婦と孫、私が取り残されたというような状況で、寂しさを抱えるという事になりそうです。それも明日からは、下宿の食事の事もありますし、風呂やトイレ、廊下や玄関の掃除もありますから、じっとは、してはいられない状況になります。忙しくなる明日に向けての準備をして就寝です。