2015年10月17日(八段語録2568)
世間に染まらないようにと自覚
クラスメイトと話すような機会があるのですが、ほとんど人生の終焉のような話になります。希望を感じることができない人達がほとんどです。実につまらないのです。もちろん、子供の話も良いですし、孫の話も好感は持てます。しかし、自分達の人生になると、もう終わっているように感じてしまう集会でした。やはり、私の場合、その渦の中に入りたくないという気持ちになります。実に面白くもなければ、夢を追いかける気持ちにもならず、現実順応主義に陥ってしまいます。嫌悪感を抱いてしまいます。人生において、構想理想を温める時期があるでしょうし、それを実践していく時も必要でしょう。そして、その理想の収穫が、熟年の今ではないかという気持ちになります。
さて、理想の概念をこの年齢になって具現化するというのが、今の私の気持ちです。その為に、いままで家庭を築いてきましたし、夫婦として幾多の困難も乗り越えてきました。「老体に鞭打つのは、今でしょう」という意識も強いのが、今日この頃です。もう現実の不条理の世の中に染まって、生活がマンネリ化と習慣化、そして偽りに満ち、ごみ箱のような生き方しか、できないようではどうしようもないと思うのです。私達夫婦は、どんな困難も乗り越えてきたつもりです。おかげさまで、不倫も再婚も縁がなかったのが有難いと思っています。それなりに男が言うのも何ですが、貞操を守って、家族を保護してきました。これは、家庭を築く上での秩序であると思ったからという事です。そういう意味では、動物のような生き様でなく、倫理道徳の道を究めた万物の霊長として人として歩みたいと思うのでした。
ところで、そのような概念で、生きてきたのですが、それは理想と夢を追い続けようと思ったからであります。さらに、妻の千順さんを男として愛し続けてきたのは、私一人であると宣言するのです。それゆえに、夫婦として歩んだ自分達の人生で、生まれてきた子供達に誇りを持っているという事です。二人だけの愛情の因縁を結んで歩んできた人生であると思っているのです。お互い熱愛で夫婦は過ごしてきたのです。喧嘩もそんなにすることなく、仲良く暮らしてきたつもりでした。もちろん、それだけでは足らないのでしょう。私の場合、理想と夢を追い続けて、今に至っているのですから、その情熱を夫婦で共有して、極真という世界的基盤を維持し、広げてきたと思うのです。幸せな人生を過ごしてきましたが、これからが本当に燃え上がるような夢と理想の具現化する年齢であると思っているのです。
ちょっと、「暗い集まり」に行ってきましたが、収穫がなかった訳ではないのです。すべては反面教師という事もあります。疲れ切ってはいけないという事です。そして、せっかく築いてきた基盤ですから、これからの人生に生かすという事です。そのような意味では、すごい道を自分で歩んできたと自画自賛してしまいます。もちろん現状に満足することはできないので、健康年齢を維持して、闘い抜きたいという事です。このような人生を過ごせているのも、内助の功で、千順さんのお陰という事は間違いないのです。私の為に、どれほど投入してくれたかという事を考えると、頭が下がります。そんな事を思いながら、情熱を燃やすときは、今という気持ちを抱かされた「変なクラスメイトの集会」でした。