2015年10月14日(八段語録2565)
指導者の正道

 極真会館宮城県本部は、代表師範の為に存在しているのではありません。代表師範を踏み台として、道場生が最大限活用してジャンプする道場なのです。その為に、今まで修練してきた尊い天倫の奥義を惜しみなく、道場生に与えていくところなのです。そこで勘違いして欲しくないのですが、「指導者だから偉いのであって、道場生は従うのが押忍の精神であると思わせている」ところであります。そんなことは、私は教えていないし、指導していないのです。それは押忍の精神でも何でもないという事です。道場生を指導することによって、自動的に道場生が自然に頭を下げて尊敬されるようにならなければならないのです。役割を果たさないものは指導者でも何でもありません。そのようにできない指導者は立つベースはなくなるのです。信頼されなかったのですから、誰も認めません。上からモノを言うようではどうしようもないのです。
 さて、そのような硬い話は、少し置いてくださいと言われそうに思うものですから、ちょっとチェンジして、話を進めます。今日は運転免許の書き換えに、仙台の北のほうの七北田の運転免許センターに行ってきました。書類を記入して、写真を撮ったのですが、二十代の青年のように映っていました。髪はふさふさですし、前に垂れ下げていましたし、ジャージ姿の上半身ですから、若さがみなぎっているように見えるのです。そのよう話は別にして、講習を受けて、事故に合わないようにという気持ちで運転免許センターを後にしました。というのも私が、二年半前から、交通指導隊の一員として、朝の交通整理をしているのですから、見本にならなければという気持ちになります。七十歳まで任期ですので、もう八年余りの期間があります。それが私の心構えになって、決して事故を起こすまいと安全運転を心がけているという側面があるのです。これも、交通指導隊という指導者の立場に立っていることで、自分を律するという行動に出るのです。
 さらに、運転免許センターを後にして、向かった先は、根白石にある畑でした。草を刈って、土を耕し、雲一つない大地に立つと、心が洗われます。心地よい秋風に身を任せながら、農作業をするのです。夕方には、満天の星が輝き始めました。そのような時、今の自分を振り返るのです。そして代表師範として、どうなのかという自問自答も始まります。自然は心を本心に立ち返らせてくれます。そして、道場生と共に歩める人生を楽しんでいる事に幸福感を感じるのでした。そして、極真空手で培った内容を振り返るのです。そうしてこそ、新たなる自己創造に着手できるようなものだと思うのでした。
 畑を後にして、雲一つない空気は、とても冷えるのです。何でもくしゃみをしながら、自らの生き様が正しいかという事を牛のように反芻するのです。そして、家に戻って、ニュースを見ながら、寝床に就いたのでした。この歳になって、まだまだ苦労の投入が少ないという反省をしながら、稼働率100%にしなければならないという気持ちになりました。それが代表師範としての役目という事だと思うのです。この人生最高の生き様を、道場生に伝えてあの世に行けたらという事です。寝付けないのですが、それでも目を閉じて、安眠に入りました。