2015年10月13日(八段語録2564)
乱れない人生
極真の道は、運営とか経営ではないのです。また、一人修練を積み重ねれば良いのだという事でもないのです。それは修行時代には許されましたが、今では、菅野師範を中心とする道場スタッフとの意思疎通を交わしながら最大の理想へ向かっていくという事なのです。修行時代は、自らを律することに全精力を尽くしてきました。今は、スタッフとの絆の確立であり、このスタッフと指導員がどのように強固な関係を作っていくことができるかという事が、ポイントになるという事です。
私とスタッフは強固な絶対的な信頼関係を築いてきましたから、次の段階で、スタッフと現場の指導者との関係が問われるという時代に移行してきているのです。このような強固な絆を作って、そこで何をするかという事です。第一に、道場生の拡大です。極真に集う多くの人材を育成しようとするのです。第二に道場の拡大です。稽古する場所を市内の至る所に構えるという事です。そのような夢を持ちながら、前進するという事に誇りを持っています。そうすることによって、内外共に、評価さて、天下の保護下に置かれると確信しているのです。
誰からも擁護される極真会館宮城県本部を目指して、前進あるのみなのですが、責任者としての姿勢は、良心に忠実生きるという事です。そうしなければ、自分が天下の保護を受けないという事になってしまいます。自分や他人を裏切ってまで、人生を歩もうとすると、容赦なく世間や、天地が許さないという姿勢を取ってきます。行き違いや、不信感をなくそうとするには、愛情のある信頼関係が願われます。そうでなければ、自分も満足することもないであろうし、道場生も集まって来ないのです。
道場の円滑化を図るためには、どうしても、誰も蹂躙することのない人間関係を構築していかなければならないというのが必然という事です。理想をもたらすのには、一人ではできないのです。共に手を携えて、向かっていかなければ、なされるはずはないのです。いつも問題になってくることは、指導者が右往左往することです。はっきりした方針がスタッフから指示として出ているのですから、その事項を丁寧に説明するという事です。
ところで、現実問題として、世間を見渡すと、ネオン街があり、キャバクラがあり、ソドムのような淫行の街に世の男女がたむろっているのです。その現象を分析するならば、人には心の声もあるし、体の声もあるという事です。そして、心の声に体が従わず、体の欲求のままに動いているという事なのです。男女の体の欲求のままに、心がセーブできなかったら、淫らな世界がはびこるのも、当たり前のことなのです。そのような世間の風潮を切り裂くように、極真空手はあるのです。心の原点である良心を強くするという修練をすることによって、肉体を良心に従わせるのです。これが、空手道を極めようとする私たちの戦法なのです。それが理想や平和をもたらす方法であると確信もしているのです。
修行は心身を調和するのには、最大の武器です。そして、愛情で日々を包んでいくとしたならば、その修行は継続していくのです。そんな日々を送ろうと、私の闘いが始まっているのです。決してネオン街には近づかないというのも私の信念なのです。