2015年10月11日(八段語録2562)
何故手塚グループか
極真空手の修行者としての原点を、強さやパワーに置かず、家族・対話・自然というように、このグループの中心を愛情に力を入れているのです。私が若かったら「極真は勝負偏重の世界だから、力でしょう」と答えたに相違ないと思うのです。しかし、会長と出会ったのは、四十代後半でしたので、もう選手としてのピークを越えていました。どんな修行をしたら良いのかという事を考えていた時でした。修行の方向を変えるという意味では、いい出会いをしたという事です。
その前に、四十歳の時に、実家に戻り、学問をする意識にあったので、力よりも頭脳へ力点を置き始めていました。それ故に会長の主張は、すんなり受け入れることができました。世の中の仕組みを、学院大学経済学部で学びました。そして、出会った矢先、スペシャリストとしての道を歩もうと、会計と税法を学んで税理士へと向かっていた時でした。税法の三科目免除の資格を得て、次に会計という事で、勉強しようとしていたのでしたが、大学院で税理士の子弟と会話する中で、そこに私の夢はないという判断をしている時でした。その行きつく先が、知識に基づく専門職ではなく、もともと修行を積み重ねてきた極真であるという判断の原点がうまれたのです。そして、税理士を蹴飛ばして、極真指導者としての道を歩んだのです。そこで出会ったのが会長で、愛情の道を説いていました。それに共感したというのが事実なのです。
さて、私の指導の原点は、肉体の鍛錬は継続という事が、大切ですが、人の原点は、愛によって生まれ、さらに父母の愛の中で大きく育ち、あらゆる人間関係を広めながら成熟して、完熟するような時に、異性と出会い愛を結実していくようになり、結婚して家庭をもって子供を身ごもるという事です。このように原則的に捉えようとするのが、このグループなのです。政治家や行政担当の人に聞くと、現実はそのようにはなっていないと諭されますが、私の場合は、修行者なのです。現実を重視するのではなく、修行による理想を重視していきたいと思うのです。私がモデルに成っているかどうかは疑問ですが、私達夫婦で愛情を培って生まれた子供たちは、愛情の核心で育ち、その中心を通過して、理想的な人生を歩んでくれると思っているのです。これも原則という修行に立脚した表現なのです。
ところで、愛情が人間としての本質であるという事実を積み上げてくるのに、六十年以上の歳月がかかりました。もうこの歳になると、核心に至るのです。体験を通じての確信という事です。そのような意味でも、老いた親に対しても、さらに尊敬の念を抱いて、愛情を持った孝行の道理を果たすというのが、私の気持ちになっているのです。今日も母親を車に乗せて、母の友達を訪ねていきました。母が喜んでくれたことに、充実感もあったのでした。親孝行を継続し続ける無限な力は、愛情からしか生まれないという事です。それを両親から学びましたし、今の自分を原則道理に愛情につなげた人生を過ごさせることに、精一杯努力してくれた両親に感謝という事です。
今日も現実的に悪いニュースが飛び込んできます。会長は入院するし、私も一日ついてないのです。会長には一刻も早く病気の回復を願い、私も自己管理を徹底していくという決意でいるのです。