2015年10月10日(八段語録2561)
家族のための備え
朝から、いろいろな事を考えすぎています。気持ちの中で言葉が去来しているのです。寝起きで、かつて同じような夢の続編のような夢でした。もう五年も前の映像でした。その時、田舎の温泉付きの家を購入していたのです。今回その家に行く夢を見たのです。忘れたはずの夢の続きです。その家を管理している人がいて、温かく迎えてくれているのです。ただそれだけの内容なのですが、夢にも続きがあると思って、ちょっとびっくりしました。それも数年前の事の延長ですから、面白いと思ったのでした。
現実には、この数年間に起こったことですが、将来の生活の年金と思って、道場と中古マンションを借金で購入しました。さらに、自給自足を目指して、六反の田圃を購入しました。畑が二反ありますので、れっきとした農家という事です。家と下宿の食材がすべて賄えるという計算です。中国のバブル崩壊が来ようと、経済がどうなろうと、貨幣経済が崩れようが、大丈夫という準備ができたという事です。夢の中では温泉付きの住まいでしたが、もうすっかり忘れていた夢を再び見せられているという事ですから、どんな危機が来ても、安心と安全の確保という事につながると思っています。
ところで、愛情の溢れる家庭を目指してきたのですから、基本的には自立という事が願われます。家族で生活していくという理想を果たすという事です。家族で何でも理想をこなすことができるのであれば、素晴らしいと思っています。何でも経験したことを家庭の実験所で試すというところです。家庭を拡大すれば、地域社会や、国という事になります。そう思うと、自立できる家庭が出来て、初めて地域の人に役立つ事ができるという事になります。そのような家庭を大切にしようとする発想から何でも想像力が生まれてきます。不思議なことに、家族の為に何かを行おうとすると、能力を発揮するようです。ちまたでは、性格の不一致とか夫の浮気とか様々で、愛の修羅場になっている側面もありますが、私は正しく捉えようとしています。つまり、愛情の修練の場という概念です。
私の場合ですが、妻を心の底から受け入れ、愛情を注ぐという事が原点になって、共に生きることを誓い合ってきました。それだけに、理念に終わるだけでなく、こうして生活し続けてきていることを思うと、もう自分も驚いてしまうほどの事実になっているのです。子供が成長して巣立っていっても、夫婦だけは残りますから、大切にしたいという気持ちになります。
今は、妻と文誉が広島の実家で、闘病生活をしている弟の千行さんの世話をしています。それも、今年になって、何度も通うようになっています。それは、家族であり、愛情を注ぐ対象になっているからという事です。親子で実家に尽くすという事は、家族を愛するという発想に合致します。そして、頼りにされている妻いるという事です。電話の中で、弟千行さんのわがままを叱責したという話を聞きました。それに対して、弟は「姉ちゃんごめん」と言ってくれたそうです。家族に頼りになるという事が、どんなに幸せな事かと思うのでした。色々外野では騒がしいことも多くあると思いますが、原点を家族において、しっかり世間を渡っていきたいと思うのでした。