2015年10月9日(八段語録2560)
後世に残したいもの

 ホテルをチェックアウトして、大阪の環状線を西に下って、名神高速道路へ入って、京都に向かいました。京都といえば、日本のいにしえの都という事でしょう。三十代中ごろは、大阪に在住していましたから、京都に一週間に一度は通っていました。懐かしい光景なのですが、妻は清水寺にはいったことがないという事で、初めに向かいました。観光客でごった返していました。特に韓国人・中国人の姿が目立ちます。こうした、文化財が昔のまま、残っているという事は、日本の国宝という事です。私の場合、京都のような文化財を残すことができるほど、私財があるわけでもないのです。残せるものは、子孫という事にしています。それだけに、教育には力を入れてきましたが、どれだけの効果があったかは子供達に聞かなければならないことです。私の場合、お金をもって、あの世に行く考えはないので、多くの人に役立ったという事を持ってあの世に行こうと思っています。そういう意味では、極真会館宮城県本部は、私の宝という事です。その宝を埋もれさすことなく、一人一人を大切にしていこうという思いなのです。そして愛情を注いだ気持ちを、あの世にもっていこうという考えなのです。
 さて、清水寺は、人が多くて、娘の文誉は疲れ切った様子でした。人込みと、山を登るような寺町の間を潜り抜けていくのですから、疲れるのも分かるのです。疲労の溜まったところに、清水寺があり、清水の舞台もありました。その場に立ってみたり、遠くから写真を撮ったり、様々ポーズを取りながら、目に焼き付けてきました。それから、嵐山に向かって、昼食です。嵯峨野の湯豆腐を食べに行きました。京都での精進料理で、豆腐がメインなのですが、その店の庭園は心落ち着くものがありました。身体に優しい食事なので、私にはちょっと物足らないのですが、妻の千順さんと娘の文誉にとっては、最高の御馳走のようでした。何といっても目で鑑賞して、めでながら食するという京都らしい食事という事で、楽しんでいました。食事が終わってから、金閣寺に向かいました。ちょう夕日に金閣寺が映えて、黄金が見事なまでに庭園に浮かんでいました。
 ところで、古都の京都に来て、伝統文化が息づいている佇まいに、何とも言えない風情を感じるのでした。もちろん、こんな風情を作ってこの世を去るのも良いのですが、私の場合、子や孫を沢山作っていきたいという気持ちのほうが強いのです。もちろん、道場生も多く増やしたいという気持ちです。私の場合、政治のような多くの人を対象にすることはできないようです。あくまでも、極真の伝統に魅力を持って付き従ってくる人だけを対象にするような性格です。しっかりとした、共通した考えをもって、行動を共にするという人達と共にが、性に合っているのです。この道を歩んでくれる人を対象にするのですから、範囲は狭いのですが、生きがいとしては刺激的です。この家族や道場生に愛情を注いだという事実だけをもって、あの世には出発していきたいと思っています。まだお迎えは来そうにありませんが。
 自分の功績としては、極真の道が合っているように思うのです。そのために、青春時代のすべてを投げ打って今まで来たのですから、当然と言えば当然なのです。そして、地上には、今まで、二千五百の本部長通信、これからも書きますから、できれば一万の本部長数信を置き土産として、残していきたいという願望もあるのです。もしかして、これが貴重だったりするかもしれません。