2015年10月8日(八段語録2559)
人生山越え谷超え

 今も変わりなく、人生課題が盛りだくさんです。その課題を超えていくのにも、瞑想せざるを得ません。超えるハードルばかりが目立つことが多いのですが、そんな状況も発想の転換によっては、取り組むべき意欲の対象になります。そのような気持ちでも、本分を果たせるように日々努力という事です。今日は、奈良に来ています。奈良公園の中の東大寺大仏殿を回ってきました。何度来ても、日本の歴史と伝統を感じさせられます。妻と文誉と私の三人です。よき家庭を築き上げようと出発した二十四歳の夏から、もう四十年の歳月が過ぎているのです。びっくりします。良い人に巡り合えて、子育てを今までしてきましたが、多くの事情を抱えてきました。そして、その事情を一つ一つ乗り越えて、奈良に来ているという事です。良い事、辛い事、骨髄が解けるような悲痛な事、様々でした。ともに夫婦で乗り越えてきました。それでも、人生は続くのです。そして、その課題を超えていく覚悟を背負うという気持ちを、抱きつつけようとしているのです。
 久しぶりに、奈良で友人夫婦に出会いました。一時間ほどでしたが、お互い課題を乗り越えようとしているのが、話さなくても伝わってくるものがあります。ハードル競争のようなもので、一つ一つをクリアしていくのに、大きくジャンプしなければならないし、ハードルバーを倒しながら、傷つきながらの日々という事です。解放されない日々もありますが、それでも、愛情を中心としての人生を決意した日々ですので、この愛情を外す訳にはいかないのです。そうでないと、気持ちが解放されないように思うのです。愛する子供達も健在です。孫の士紀雅も二か月目になろうとしています。そのような後孫の事を考えると、どんなハードルでも超えていこうと思ってしまいます。
 ところで、今後の人生はどうなのかと考えてしまいますが、決してハッピーという事にはならないと思うのです。今までと同じように高いハードルが待ち受けていることは、当たり前のように考えます。あくまでも、その困難な高いハードルをどのように自分の手で、こじ開けていくかという事にかかっているのです。日々拘束感もありますが、子供達も生きているのですから、取りかかりがいがあるというものです。それも、息子は極真空手の指導者として十年近く、柔道整復師としての修行を三年も取り組んでいるし、息子も親としての自覚をしているのですから、頼もしいものです。若い時に苦労すれば、必ず未来は保証されるものだと思っていましたが、未来が現実になった時に、また多くの苦労を背負うという事も分かってきました。それで、自分の理想はどうなのかと考えるのですが、大きな理想を抱いているという事に変わらないという事に安堵感もあります。
 久しぶりの奈良でした。始めてきた娘の文誉も大きな大仏に感動していました。この家族を背負って、行けるところまで歩みだす決意を固める奈良でした。昔の人々は、あの世に行っていますが、このような文化財が昔を偲ぶことができるというものです。それは、いろいろあった時代を偲ぶことができるというものです。ここが踏ん張りどころという思いの奈良見物でした。そして、家族の絆をさらに強める日でもありました。娘の文誉にも、未来のあり方を話していました。