2015年10月7日(八段語録2558)
人生一瞬

 人生振り返れば一瞬という事でしょう。ふと一瞬が過ぎれば、朝もやのごとく、つかの間という事ですから、何事も真剣に取り組むことも、一つの人生の生き方という事です。もちろん、怠惰に生きるという方法もありますが、あまりにも、収穫が少なすぎて、それでは萎れてしまいます。今日は我が地区の原町同好会のゴルフコンペに出席してきました。ゴルフはどうあれ、人間関係を円滑に築いていく上では、必要な事であると思っています。これも瞬間の中の一瞬の出来事ですが、地域の人を理解するうえで、とても大切な行事であると思っています。どうしても、地域では極真会館の師範という事だけで、一目置かれてしまいますので、私の演出は、ゴルフの下手さ加減を眺めて貰って、普通になろうという作戦という事です。今年は、二回ほどしかコースに上がっていませんので、大たたきするホールもあれば、パープレイができるホールもあります。それでも、真剣にクラブを振るのでした。ゴルフの腕前はどうあれ、飛距離は一番という事でしょう。フェアウエーに乗っかれば、ドラコンというところですが、そうはいきません。右に左にブレ過ぎて、しまうのがボールの行方という事です。
 そんなわけで、私のゴルフが話の魚にされて、とても話題を提供してくれる人として、人気を得ています。今日も瞬間の連続でしょうが、ゴルフボールがクラブのフェイスにヒットする角度やパワーで無限の可能性を秘めた飛距離と方向性が決定します。それも一瞬のインパクトでの出来事ですから、不思議です。一瞬の積み重ねが、スコアーに反映していくのですから、大変なことです。もちろん、ゴルフに関しては、プロではありませんから、それなりに楽しんでいるのですが、勝負は、気になります。これは、空手を続けてきた者の本能みたいなもので、おのれの骨髄にまでしみ込んでいることを痛感しているのです。一度ならず何度も全日本に出場してきた私にとって、自分が生死をかけることが、「死なんとするものは生き、生きんとするものは死なん」というような境地という事です。体験した中で、この選手には到底勝てないだろうと、過去の成績から推測したのでしたが、右腕の下突きで一本を取った思い出は、今でも忘れることができないのです。
 ところで、そのような経験をしてみると、自分の生命を失うような境地が、勝利への近道という事であるようにも、思ってしまいます。どんな立場でも生命を捨てきって歩むという事が極真精神であると確信しているのです。そうすることによって、右腕の下突き一本で相手を倒すという事が起こってくるのです。つまり、常識をひっくり返すような事件も起こりうるという事です。絶体絶命の中で活路が生じるように思うのも、経験してきたことでした。そのぐらい真剣に歩むことによって、日々自らを発見し、自分が何者であるのかという事が、うっすら感じられるのです。おのれが何者なのかを知れば、何かしら飛躍するという事になるのです。そんな意識を表現してみました。
 夜には、及川社長に、極真空手の奥義の座学をさせていただきました。9月は行事が多くて、時間が取れなかったのですが、一か月分の極真のエキスを吐き出させていただきました。本人も座学だけではなく、実際に稽古を始めている様子を話してくれました。