2015年10月5日(八段語録2556)
指導者研修に思う事
何事も道を貫くと、壁が要塞のように立ちはばかるのです。何もせずに呑気に生活する分は良いのですが、いったん目標を持って貫くとなると、これは大変な事になるのです。調子よく事が進むという事は稀であって、ほとんどは困難な道が伴うのです。東日本大震災からもう四年半ですから、仙台も立ち直りを見せているのですが、数的基盤の確立と、指導者の人材育成と配置が課題になっています。かつて、私のパワーで一時的に道場生の人数は増えましたが、これをしっかりとしたシステムと基盤につなげていくとなると、試行錯誤が続いているという現状があるのです。もうどのように指導するかという指導理念は語りつくしてきました。一二年に及ぶ膨大な内容を指導者が読むことができます。二千五百という書き記した内容があるのです。ある意味で直伝のようなものです。そこで、責任をもって立ち上がる弟子が多く存在しなければならない時代に突入しているという事です。
もちろん、指導者になるというのは並大抵ではないのです。自分自身を育てることができるかというならば、相当な意志力がなければならないのです。そこで、菅野師範に指導者研修を月一度開きながら自己研磨に励んでもらっているのです。その主なる要点は、一人一人は、自分自身に甘いので、修正してもらっているという事です。それは、別な角度でいうならば、今まで自分が行ってきた修行の否定であり、足らなさの自覚という事になるのです。これが指導者研修の動機なのです。ここで何かを学ぶというよりは、徹底的に自分を修正するのです。その大役を菅野師範が、担っているという事です。動機は正すという事が主目的ですから、喜んで参加するというよりは、一種の緊張感が指導者研修会にはあるのです。
ところで、指導者研修会に出席しなかったらどうかというならば、自分を甘やかし、教室で、内容のないままに成長も鈍化していくという事なのです。ここでの参加で、本人自体の修正の仕方や、限界がわからないので、徹底的に否定されたほうが、より自分の事を考えるというのです。なぜならば、自分自身でどのように成長しているのか、そして限界がどこにあるのかという事が、わからないのです。つまり、思いっきり否定されて「目を覚ませ」というのです。そのようにしているうちに核がしっかり自分に出来上がってくるのです。一点、一角、が正されれば、新たなる刺激を受けて、急激に成長するのです。その姿を、今の指導者にみたいというのが私の立場なのです。だから、夢々、指導者研修で認めてもらうと思ったら大間違いという事です。ここが原点で、成長が願われると思って参加して欲しいものです。
その基準が指導者研修のポイントである事を自覚して、修練に励んで欲しいのです。それが、これから極真空手を学ぶ道場生に対する指導者としての大きな器になると思っているのです。そうすることによって、指導者としての人材の質と量が満たされてくるというものです。かつて、振り返れば、私の指導は強烈に道場生を否定したものでした。そして、その否定されても、本当の自我の確立の為に努力を重ねた道場生が、結局は残ったのでした。今は、私は指導者研修で、基本的な姿勢について話すだけですが、直接の指導を受ける立場の道場の指導者は、自分自身がこの研修会で自分自身の成長の為に、向上心をもって、思いっきり、自分の根性をナタで切り倒してみてください。