2015年10月4日(八段語録2555)
偉大な道にも限界があります
極真会館で稽古に明け暮れて、つくづく思う事は、日本だけの民族主義的な空手道ではないという事です。世界に受け入れられて、日本国家という限界を超えて、世界に影響をもたらしたという事です。その張本人は、日本人ではなく、韓国から帰化した大山総裁という事です。この日本古来の伝統的な武道を、日本人ではない韓国人が主導して、世界に伝播したという事です。つまり、韓国人から出発して、日本人に定着させ、なおかつ世界にまで影響を及ぼしたという事です。日本に逆輸入して、なおかつ世界的に版図を広げたのですから、誰にもできることではないという気持ちになります。自分の国が韓国で、日本の国技なのに、自分の国を超えて、日本に定着させ、世界の為に貢献したという観点からするならば、武道界の偉人が現れたといっても過言でないのです。
確かに空手道という特殊な切り口ですが、国家と民族を超越しているのです。そしていつの間に、世界の青年たちの心を揺り動かし、その青年たちの為に、自分のすべてを投入したのです。あらゆる困難な道を生きがいとして、世界に広がる極真会館としての信念を持ち、生命をかけてきたという事なのです。そして、空手道がオリンピック出場と騒がれるほどの影響力を与えたというのは、超人という事の他にどんな表現も当てはまらないと思っているのです。もちろん、足らない面、補充しなければならない面が多くあると、手塚会長は語っているのですが、それは、これから道を整えていけば良いだけの話であって、極真空手道という高速道路はもうでき上っているのです。もちろん、釈迦やキリストという宗教を起こした聖人とは違いますが、この分野での頂点に立っていると言って過言でないのです。
ところで、このような偉大な創始者を持ちながら、弟子達の行動は私を含めて幼すぎるのです。分裂を繰り返して、グループ幾つも分かれて山ほどあるのですから、とんでもないことです。そうこうする中で、もうすでに二十年以上の歳月を超えて、思う事は、確かにお互いのグループが切磋琢磨してきて、お互い是正しあっているので、極端な独裁は取れないのです。どのグループもけん制しながら、互いの批判に当てはまらないように自制しているという実態です。それが功を奏して、世界に対して極真会館が発展していて、当初の何倍もの勢力になっているのです。そのような意味では、分裂もある面で独裁を防いで、健全に発展する効力が現れているのかもしれません。
それでも、空手道という範疇なので、聖人には挙げることはできないのです。それは、空手道が人間の生命を支配することはできないからです。生命を支配するのは神がなされることで、その教えが四大聖人と呼ばれる人達で、宗教が支配する世界であると認めざるを得ないのです。私が、段位を極めて八段になったとしても、人生においてそれが価値ある事であると考えるのは、大いなる誤算という事です。その人が持っている段位が世界の人が認めるものであるとしても、幼い子供の生命にも匹敵しないという事です。宗教は人の生死を支配するものであり、空手道は道を追求するものです。まったくスタンスは違うのです。当然、空手道は、人の生命を解決するものではないのです。それを踏まえながら、極真の道が示さなければならない分野を開拓していきたいというのが私の思いなのです。