2015年10月3日(八段語録2554)
試練もある日々
千順さんと午前中から、家族の事を話していました。良い事と課題を仕分けしながら、どのように対応すべきかを話していました。広島の妻の実家では、弟の千行さんの病気が思わしくなく、娘の文誉を連れて、一か月ほど我が家を離れて、介護に出かけることや、その間、娘の順香を立てながら、下宿の食事や掃除の担当をしていくこと、私は主人として、その采配を振るうという事になりました。家の事、下宿の事、極真会館の事、地域社会貢献の事、さまざまなすべきことを整理して取り組むという事になりました。主人となれば、代表者という事もあって、貢献が願われます。そして、貢献することが、みんながそばに来ることができる唯一の行動であると思って対応しようと思っているのです。もう知恵も、能力も、お金も限界にあるのですが、それでも前進するという事に決意をしているのです。
10月は、試練の月であると感じているのです。私自身を投入することを願われるわけです。もちろん、その投入が消耗であってはいけないと思うので、新たな道を切り開くという気持ちで、創造という意識をもって対応するのです。何事も投入するという事で、第二の私を作っていくという発想も必要であると思うのです。もう高齢者ですので、強い意識を持たなければ、消耗戦で終わってしまうので、心がけてプラス思考をするという事です。歳を重ねれば、それなりに課題の解決がスムーズに行くと思ったのですが、その発想は大間違いという事に気づかされます。昨年から、広島の妻の実家の課題が勃発してきますし、我が家においても、ちょっと油断すると泥沼に引き込まれて行くような事案が起きてきます。
ところで、疲れた体に鞭打って、頑張る姿勢ですが、私も参加すべき道場生の対応でしたが、錦が丘の道場生の課題の解決に、北山事務局長に委ねて対応してもらいました。結果、退会することもなく、意欲をもって稽古に励むという結論を導き出したのでした。北山事務局長からの表現からすると、百パーセントの投入の対応であったのです。道場生の為にあらゆる配慮をしたという事です。投入して投入してまた投入するところに、道場生の意識も変わるのだという事のように思えました。そのような意味でも、教室の指導者にも、個と全体に気を配りながら、気持ちの投入をしていただければ、ありがたいと思うのでした。投入し続ければ、道場生は正直に反応してくるのです。それは小さなところから、大きなところへと、広がっていくという事であると思えたのでした。
そのような意味で、指導者も道場生も、今の自分に満足することのないようにするのです。つまり、指導者は投入することに満足せず、道場生は吸収することに、どん欲になれば、道場は活気が出てくるのだと思うのです。もちろん、戦略や方針も必要でしょうが、それ以上に、投入すればするほど、出力が大きくなり、入る力よりも発する力が大きくなり、限りなく栄えていくようになると思うのです。今後の道場の発展は、私たちのパワーの入れ方にあると思うのでした。そんな土曜日を送っていました。
夜も千順さんとの会話が続きます。一か月家を空けて実家に行くのですから、それなりに大変なことが多いという事でしょう。確認することが様々ありました。そして、大変になる今後であると事を示唆されました。めげずに頑張ろうということです。