2011年11月24日(八段語録1510)

積極的人生観(83)
 分割遺産相続書

 昨日の大捕り物があって、徹夜状態でしたが、疲れも感じることもなく普通の平日の日常生活に向かっていました。親父が亡くなって五回目の七日目になりました。お墓に花を手向けに母を連れて夫婦でいきました。いつもの道ではなく、グランディーへ行く綺麗な並木道を通ったのです。妻は不思議そうにいつもと違う道なので反応が早いのです。もちろん否定的に話しかけてきます。母は、親父が過ごしたであろう道を通っているように思って是認しているのです。そのような何でもない会話が続いて、菩提寺の道安寺に到着しました。途中に、弟明弘に電話をかけて、今日の夕方分割遺産相続について協議する話をして約束を取ったのでした。
 五回の七日目で、親父に実務的な事に入ることを報告しました。全ては母親の広い手のひらにあることなのですが、帰り道には、下宿棟が親父と母との共同名義であると話してくれるのです。書類を見ると、表記の仕方が違って見えたので、確認をするために、大江司法書士事務所に連絡を取ったりしたのですが、確かに母親との共同名義であるという事でした。母はそれを聞いて、親父との苦労話に花が咲きます。その内容を夫婦で一生懸命聞き入るのです。千順さんを苦竹の自宅に下ろしても、母の話は尽きません。
さらに、仙台市宮城野区役所に母の印鑑証明書を取りに立ち寄ったのです。新しく、印鑑登録をするのですが、しっかりとした字を書きます。書きながら、母は、未だぼけていないとつぶやきます。それもそのはず、つい先ほどの事は忘れやすくなっているのですが、昔の話であると鮮明に覚えているのです。その記憶力を当てにして母親から、茂雄の自宅の電話を聞き出すと、この家の電話番号も頭の中に叩きこまれて見事に的中です。茂雄との連絡もスムーズでした。夜の八時ごろには全員が揃うという事になったのでした。そして午前十時には健康食品の店に母を下ろしたのでした。
 それから、遺産相続書の書類の準備に余念のない時間を過ごすことになりました。私の住民票と印鑑証明書を入手します。兄弟たちも準備しているようでした。娘の授業料の納付も遅くなっていたのでしたが、納付の手続きを終えたのです。いつの間にか、下宿の手伝いをしなければならない時間になっていました。玄米のコメを精米機まで運んで、主食の確保です。すぐに、国見教室の指導に出かけ、子供達とさわやかな時間を過ごしました。
 時間が刻々と夜の八時に近づいてきました。私が心したことは、親父の意思を反映させて遺産の分割をするという事でした。母もその場に立ち会いました。何よりも心しなければならないことは、平等であり、公平であるという事です。さらに、責任と権限という事なのです。私は、家督としてこれからも、母の面倒を見るのです。その事に兄弟の異議はないのです。もちろん、難しい性格の母であることは、生まれた時からの付き合いですからよく心得ています。その至難の業を嫁の千順さんは今まで二十年間こなしたのです。誰も何も言えないほどの献身生活を送ってきたのです。時には、泣きながら私の胸にすがったのでした
 父親の介護に関しても、下の世話までしてきたし、良い気持ちを父親は抱いて生活してきたのです。父の介護は終わりましたが、これからは、母親と共に生活をするのです。その責任については、私から一言も言いませんでした。そして、遺産の全ては、平等に公平にという原則を貫かせていただきました。さらに、兄弟家庭を守っていくという家督としての責任を自覚していたのでした。
 心にある全てを皆で話し合いました。そして納得して実印を押してくれたのでした。この協議を父親は見ているという気持ちがしていましたし、親族の結束を無事に果たせた思いになりました。これから私が全責任を持っていくという決意が胸をよぎりました。