2015年9月30日(八段語録2551)
愛から始まる人生の為に

 早朝、愛車プリウスで東京へ出発です。今回はノンストップの運転でした。四時間もかからずに東京都内に到着です。昔の友人に出会ったりしたという事で、人間という存在の素晴らしさに共鳴です。ちょっとした会場で感じたのですが、事業の戦略の違いが、経営者によって運営が相当違うのです。私の場合、人材教育に焦点を当てて、空手道場の運営に纏わることですが、経済活動というよりは、人を育てて社会に送り出すという役割を持っているのです。この会場での事業は大義名分を抱いて、借金経済で諸ともせずに、資金を集め、大きな事業を展開するという事でした。お金がお金を呼ぶという戦略ではなく、理想を果たすための、資金を集めるという大義に立脚した事業という事でした。私の場合は着実であり、地味という戦略で、新規から稽古を通じて教育、そして指導者育成というパターンで運営してきました。四十数年も貫いているという事です。
 さて、どの事業とも私の道場運営とは比較はできませんが、人間という存在の目的は、愛の理想を完成するというところに、私の極真の場合、最終的に置いているのです。ところが、ここでの会場での事業は、あらゆる部局を置きながら、幅広く展開しようとしているのです。それだけにお金がかかる事業ですし、組織化を推進するという事です。私の家族の関係からの発想とは限りなく違うのです。世界を相手にして進めている極真会館ですが、根底は愛情をベースに基盤を作って、拡張して連結して大きくしようとする最小単位を家族に置いた道場運営になっているのです。それが、家族が最小単位であるという確信からです。
 すなわち、物販を入れるという発想ではなく、出発が家族なので、根底が愛なのです。目的も道場でもって稽古をして愛をもって到達しなければならないという事になります。そのためにも、男性も女性も心身を鍛え高めて、前後・左右・上下に人は連結できなければならないという発想です。もう分り切った事と思うのですが、特に道場生の家族を共有した、徹底した家族主義を貫くのです。道場で稽古をするのは愛の目的の為にするのです。そして目的を成就するという事は、そこに存在、それ自体新しい何かに向かっていくという事になると思っているのです。男性なら男性、女性なら女性と、人が何よりの尊いという事を学ぶし、その原点が愛情であることを稽古で徹底的に学んでもらう訳です。
 私の場合、いろいろな事業形態を学ぼうとして、どんな団体にも出かけていきます。それは、そこで学ぶことが大きいと思っているのです。そして私が運営している極真会館との比較をするのです。それが大きな刺激にもなり、足らない部分を補うという事にもなるのです。自分のやり方が一番だと思い始めたら、もう成長がないと思っているのです。どれだけにあらゆるところに顔を出すという習性があるのです。今回も多くの勉強をしました。そして、自分の道場運営に反映させようと思っているのです。
 結論として、道場の稽古は人の成長のためのサポートであり、手段であると思っているのです。それは、単純です。愛情を抱ける人にするという事です。そして愛の中で成長し、さらに異なる次元の愛に連結し、悲しみと苦痛を超えていくだけの、バックボーンを心身共に作っていこうとするのが、私の理念であり道場運営という事になるのです。