2015年9月27日(八段語録2548)
中秋の名月

 誕生日を一日遅れで息子家庭と娘たちに祝ってもらいました。「中秋の名月」を眺めながらですから、とても清々しく、心地の良い秋風を気持ちよく受け止めてという事です。私には家庭があるという事を誇りに思えました。そして、極真会館手塚グループがあり、その核心である宮城県本部を治めているという事に感謝の念が湧いてくるのでした。還暦を過ぎて、家庭・極真会館宮城県本部という存在の建設に乗り出して、やっと「主権・領土・家族と道場生」が形になってきたという事です。我が家庭と道場生を連結させ、そこに理想の組織を作っていくという事に、満身創痍で闘ってきた過去からの歩みに、充実した気持ちを持つのです。私が心の中で常に考えてきたのは、家庭であり、道場生の事でした。これが二本柱になって、あらゆる公的な地域社会に対する活動を積極的に行うことができたのです。
 そのような意味では、「最高の一念」の達成であり、まだ途上ですが、これからの目標がはっきりしているので、一直線に迷わずにコツコツと積み上げていくことになりそうです。希望とする人生の完成に向けて、残りの生涯をどのように生きるかという事になるのです。この方向性は、振り返って間違いなかったし、地位や名誉そして経済を追い求めていく人生にならなかったという事に感謝の念を抱くのでした。こんな事を表現すれば、偏見と差別だとか人権侵害とか言われがちなのですが、疲弊してしまった家庭で離婚再婚を繰り返しても、理想以下のレベルにしか立たなくなるという事です。そのような意味では、これから考え、語り合い、行動することによって、成し遂げようとしなければならないという事です。それが、これからの残された人生で成すべき中心ポイントという事になります。
 ところで、今回東京オリンピックの参加種目に空手が選ばれたという事は、いろいろな思いこみ上げてきます。世界の道場生にとって励みになるという事です。そのような意味では、常に世界を回って道場生と直接触れてきた者として、空手の分野でますます結束していくことができることに自信が持てるのです。この十年間、世界を回ってきたものとして、十分な成果になったという事です。希望の空手世界になったのであり、目的をもって闘ってきたのですから、このようにして世界の道場生の為に、報われるとは思ってもみなかったのです。オリンピックという事で、世界が入ってくるように思えたのです。これで、伝統から手も実践空手も相争うことなく、よりよいルールを見出して、オリンピックの競技として盛り上げていきたいものだと思うのでした。空手界が団結する時代に突入です。
 このようにオリンピック種目になれば、伝統空手がどうのこうの、極真会館がどうのこうのということ自体恥ずかしいことになるのです。今まで相対立した組織が融和に向かっていくのではないかと思うのです。というのも、オリンピック憲章で、一つの組織運営をしなければ、種目に入れることもできないという事です。空手団体だけでは、融合すること自体難しかったのですが、オリンピックという事で、お互い尊重しながら、認めていかなければいけない時代の到来という事になったのです。反駁すれば、バスケットのように、オリンピックに出場することさえできなくなるという事です。ちなみにバスケットは解決したようでした。そんな事を考えながらの「中秋の名月」の鑑賞でした。