2015年9月26日(八段語録2547)
空手がオリンピック正式種目

 六十二歳の誕生日を迎えることができました。娘たちがささやかな誕生日の料理を用意してくれました。この年齢になって、祝ってもらうのも申し訳ないような思いがするのと、妻の千順さんが広島に帰っているので、妻に祝ってもらわないと、心が喜んでいないという事もありました。さらに、私の母の八十六歳の誕生日を二十日の日に行っていないという事もあって、明日、中秋の名月を鑑賞しながら、一家でお祝いしようという話をしたのでした。そんなこんなで、誕生日に、少し考えていることを書き記しています。
もちろん、この歳まで生命があるという事に感謝の気持ちは大きいのです。それだけでなく、私が歩んできた人生を振り返る一日という事にしたのでした。一体私は、一体何のために生まれたのだろうかという答えが、この人生に凝縮されているという事です。いかなる位置で、いかなる立場で人生を歩んできたかという事を振り返るのです。個人として、家族の主人として、地域を代表として、極真会館宮城県本部を代表として、副会長として、歩んできた足跡を考えてしまうのです。
 そう考えると、どのような位置でも、立場でも誰からも信頼されるようになるというのが基本的姿勢であったように思うのです。多くの人の前にどのような男であったかという事が問われるという事です。あらゆる経験によって、結実した愛情の方向を定め、向かっていって、到達するようにして、統合していくという、主人としての人生になれるようにという事です。そのために必要であったのが、一緒に人生を共に歩んでくれた千順さんでした。お互い刺激しあいながら、成長しながら創造の道を歩んだという事です。その結実が子供たちという事でしょう。そうであったからこそ、個人の環境を超えて、いろいろな位置と立場で歩めたという事なのです。
 ところで、いろいろと天の鉄槌を食らったこともありました。完全にやられて立ち上がられない程に打ちのめされたこともあったのでした。影も形もなくなってしまうような時期も乗り越えてという事です。そんなこんな事を乗り越えて、六十二年の歳月を過ごすに至っているのですから、ありがたいと感じるのも無理なきことです。いつも母親が語っている誕生の時間まで起きてみました。朝日が昇るような時間を待ち遠しくしたのですが、あいにく雨で朝日を拝むことができませんでした。それでも、残されたこの世での寿命を精一杯歩もうと決意だけを刻んで寝床についたのでした。
 そういう意味で、あらゆる試練を超えて、今に至っているのですから、大器晩成型の私ですから、これからという事でしょうか。そんな朝日が昇るころ、オリンピックで空手が正式種目に登録されたというニュースも入ってきました。私としては武道空手推進派という事で、スポーツとしてのオリンピック参加には反対していましたが、いざ正式種目として認定されると、空手が市民権を取得したのだという気持ちになって、武道空手なのにというオリンピック参加に対して否定的には成れなかったのでした。何か四十数年続けてきた空手に光明が降り注いているようにも感じるのです。そういう意味で、2020年まで誕生日を契機に、向かっていく目標が明確に表れたという事です。