2015年9月24日(八段語録2545)
極真の修行を継続しての意味合い

 バカの一つ覚えのように、出会った極真会館とともに人生を歩んできました。ちょうど、講道館で柔道の修行をしていた時でした。噂で実践空手の凄い団体があるという事を耳にしたのです。それで、池袋の総本部に出かけて、目の当たりにして、私の心に衝撃が走ったのでした。その組手で骨と肉の軋む音が今でもこびり付いて、もう離れないでいるのです。それから、極真空手の修行の第一歩が始まったのでした。そして、ひとたび歩み始めてこの極真空手の道を四十数年歩んでいるという事です。途中で終わるという事はなかったのです。耐え忍ぶことはあっても、止めようとは思わなかったのです。常に極真の道を歩み、常に最前線で修行しようとしたのです。実践空手ですから、正直です。すぐに結果が現れます。弱ければ負けるだけです。何度も何度も繰り返し練習し続けてきました。そして一日たりとも怠らない日々の稽古だったのです。
 まさに、僧侶のように、托鉢をしながら、全行程を走りぬくのみという覚悟を固めていたのです。理由は結果が直ぐに出るからです。稽古を重ねると強くなるのです。修行の結果が自分に返ってくるのです。今となっては、自分に従って極真の門を叩く道場生の為になっているのです。何度も何度も自分に言い聞かせながら、後に続く道場生の為にも、正しい生き様をしてきたのです。もちろん、慎重さの限りを尽くして、正しく修練を積んできたという事です。日々が実験室の研究者の様相を呈していたのです。そして、その結果が全日本での勝利を積み上げた結果なのです。徹底して稽古をして、自分の限界を知ったのでした。そして敗北を教訓として、また何かを発見しようとしたのです。もちろん全日本のチャンピオンを目指した事に間違いはないのですが、それなりの中堅選手というカテゴリーからしか抜け出す事も出来なかったというのも事実なのです。しかし、その過程がなんとも言えないほどの感動ものだったのでした。
 当然のことながら、恐れ多くも「大山総裁以上になりたい。まして打ち負かして勝ちたい」という気持ちが強かったのです。もちろんその領域に到達することなど只の一度も無かったのです。それでも私なりに、幸せの頂点を味わったのでした。極真の門を叩いてから、中途半端ない道を行くことなく、今もひたすら前進しているのです。その気持ちが今尚続いているのです。それだから、役割を託す息子が成長するまでは、死ぬことはできないと単純に思うのです。いずれは、菅野師範の次の息子に、自分の使命を託すしかないのですから、息子が私に確信を与えてくれるまで闘いは続くのです。私がいなくなって破滅に続いていくような伝統は立てたくないのです。この道場の基盤を完成させるためにも、まだまだ自分の修行は足らないと思うし、苦労を背負っていないと思っているのです。
 連休明けの本日でした。何か休みボケというところがあって、チラシ配布に出かけたのですが、ピンと来ないようでした。より大きな挑戦をして、より大きな実績を上げていかなければならないのにもかかわらず、まだ遠い道のりと思ってしまうのですから、不足であることに尽きるという事です。全部私が引き受けて、処理して、大いなる実績を上げることができるベースを作りたいと思うのでした。この極真会館宮城県本部を隆起させ、不動な立場まで引き上げていきたいと思うのですが、まだまだ時間がかかりそうです。