2015年9月23日(八段語録2544)
四十年来の友

 四十年来の仲間に会いました。彼もまた六十歳ということで、お互いに過ぎた過去の話に花が咲きます。二十代前半の時代からの生き様を話すのが、とても心地よいのです。それも今では、お互いに家庭を持ち、子育ても終わろうとしているのですから、次の人生の設計を計画するという事になるのでしょう。もう人生をお互いに、十分歩んだという事ですから、これからは奉仕を中心に、地域社会で、なるべく多くの人に喜んでもらえるようにという気持ちになります。それがこれからの最善の道であると語り合うのでした。そうでなければ、四足の動物と変わりのない生き方になってしまいかねません。やはり、素晴らしいお爺ちゃんであったとお互い思われたいと思う年代に入ったということです。
 このような考え方を持つという事は、余裕があるという事と、人格面も成熟してきたという事でしょう。生きることで精一杯の時代と違って、誰かの為に役に立とうとするのですから、それなりに革命的な事のように思うのです。内面の深い根底の心のから、人の為になるような人生を行くという事がそういうことであるのでしょう。今の時代は私が思うだけでなく、東日本大震災を契機に、多くの人がボランティアで救済に駆け付けたのです。私も消防団に所属していましたので、御多分に漏れなく、対応できました。そして、今も常総市の堤防決壊における住民の災害に関して、多くのボランティアの人達が大勢駆け付けてくれるのです。このような精神が多くの人に充満し始めていることは、人間本来の良心に基づく行動のように思うのでした。
 ところで、私が結婚もしていない、子供がいない、ただ修行だけをして責任を誰にも持っていないような独身時代に、今のような気持ちになっていたかというならば、それなりに気持ちはありましたが、あくまでも個人の領域を超えるものではなかったように思うのです。考えてみれば、若き日の事を思い浮かべると、「狐には洞穴があり、鳥に巣があるが、自分には何もない」という状況であったのです。ひょっとしたら、なにもなく、空しく生きてしまうのかと思うほどでした。どのように生きても、誰にも認められないような存在にも思えたのです。風に任せるように漁村や農村そして山村を訪ねたものでした。そこでの人の生き様に出会って、いろいろな事を学んだものでした。それが肥やしになって今があるという事でしょうか。そんな話を四十年来の友と話していました。友も歩んできた人生を振り返って話してくれました。そうこうするうちに時間が過ぎたという事です。
 それもこれも、お互い人として、風来坊ではない生き方を責任感の中で生き続けて、今があるからという事でしょう。エゴイストでない生き方をしたという事で、胸をお互いなでおろしたのでした。友と話しているうちに、まだ松島に行ったことがないという事で、遊覧船で湾内を回りながら、風情を楽しんでもらいました。またいつの日か会う事があると思うのですが、その時にも人生の話をしようと思っているのです。連休の最終日、晴れ渡った恵まれた秋晴れでした。お互い確認したことは、これからも夢を抱いて、事業を起こすなりして、まだまだ衰えぬ自らの魂の叫びをぶつけていきたいという事でした。そんなよき出会いもあった一日でした。