2015年9月22日(八段語録2543)
甘えを正すのは、げんこつ

 それなりの年齢にもかかわらず、甘えて寝て休んでばかりいる馬鹿者がいるのです。もうすでに女の腐った者よりも手に付けられないということです。「甘えるにもいい加減にしろ」と叫びたくなるのです。人生が充実するという事は、愛の分野と仕事の分野で苦労するという事です。「髪結いの亭主」のようなヒモのような人生で、どうするのかと問い正したくなります。人生の秘密の奥義は、あらゆる試練を退けて、力強く安全と安心の生活に向かって前進することなのです。
このような現状を見出すために、男たるもの、人一倍苦労して道を切り開かなければならないという事です。その男は五体満足なのです。ちょっと首が痛いとか、交通事故の後遺症がどうのこうのと、屁理屈を並べ立てて、結局は自分に甘えているのです。そんな人生、誰も感動も尊敬もしないと、切り捨てる気持ちになります。誰が後に続いて、その人物を尊敬して大切にするというのですか。
 私も、二十二歳の時に、椎間板ヘルニアを患ったのです。起きるのも寝るのも、歩くのも辛く、脂汗を掻きながらの日々の生活を送っていたのです。それだから、弱音を吐くことはなかったし、どのようにしたらいいのかと試行錯誤して取り組んだものです。あらゆる整体、接骨院、十字式、外科病院と行かなかったところはないのです。手術も考えました。しかし、人間には自分で直そうとする自然治癒力が備わっているという事を信頼したのでした。そこで、当時スポーツジムなどありませんでしたので、温水プールとウエイトトレーニング場に通い詰めたのです。
一年は続けました。そうしているうちに、治ってしまったのです。背骨を支える筋肉を鍛えるという事で、椎間板の神経が煩わせることが無くなったのでした。          そんな経験を持っている私にとっても、馬鹿な男だと見下したくもなります。もちろん、空手の稽古も十分役に立ちました。結局このような歩みを開拓して、椎間板ヘルニアを直す公式を確立したという事です。後に続く同じ病名の人には、それを応用しさえすればいいという結論を持つに至っているのです。
 ところで、今は妻や子供達、そして道場生が私を囲んでいます。決して弱音を見せるという仕草もしません。その要素は私にとって力の根源になるし、責任心情が私を覆うのです。私の活動の版図が広がって、しっかりしなければならないという意識に立つのです。つまり、師範であり、親であるという立場は、私自身を強くするという事です。この強さは、単なる発想だけでなく、私自身が実際歩んできた道だから、強く怠け者の本人に諭すこともできるのです。「私にもできたのだから、君に出来ないはずはない」と断言してしまう私になっているのです。このような生き方こそ本当の生き方であると思うし、私にとっては重大な意味を持ったという事です。ここではっきり言います。「いい加減な生き方をするなら死んじまえ」という事です。死ぬ覚悟をすれば、生きるようになっているのです。それが原則というものです。そうしなければ、生きる価値など、どこに見出したらいいのかという事です。
 そんな思いを抱きながら、その馬鹿者の復活を願うのでした。それが伝わるかどうかはわかりませんが。私の姿勢は、そこまで自分を追い込んだという事です。とにかく、今生きていることが大切であり、過去・現在・未来という三つではなく、今であるという事です。