2015年9月21日(八段語録2542)
長距離のドライブ

 夜中、高速道路を走らせ、四時間352㎞完走、4時間かけて成田空港に到着。妻と娘を降ろして、再び仙台へ向かう一日ということです。常磐高速道路が全線開通したことで、かなり距離が短くなりました。そして短時間で到着ということになったものですから、近く感じます。仙台から、およそ東京に行く距離と変わらないのです。大黒柱の私としては、サービス精神満点ということです。夜行バスで行ってもらえばそれで済むのですが、不満も言わずに家族の為になるという精神です。大黒柱という意識は、親父として、夫として、犠牲精神ということになるのでしょう。やりたいことはたくさんあるのですが、これも妻の実家の為ということで、喜んで奉仕ということになりました。こんなことでもしない限り、ありがたみも感じて貰えないかもしれないということもあります。
 「行きは良いよい帰りは怖い」という童謡の歌詞があるように、成田空港着が六時で、六時半には成田空港から出発しましした。仙台に向かう帰り道は、眠気との闘いということになりました。途中友部サービスエリアの近くで衝突事故があって、渋滞していたりもしたのです。その事故を気にするかのように、パーキングで休みながらのドライブということにしました。本来ならば、横になって休めれば、それに越したことはないのですが、車中で運転席に横になっての休憩ですから、そんなに疲れは取れないという感じでした。ちょうど徹夜して朝ふらふらという状態が一日中続いているということです。
 それでも、安全運転を心がけて、制限時速通りのスピードで仙台に返ってきました。もう夕日も傾く時刻になっていました。妻からの電話では、無事に広島の実家に到着したということでした。妻の弟の病状もそんなに変化もなく、明るく振舞っているというのです。少し安心もしますが、重病であることには間違いないことなので、何か心の支えになってきてくれたらと思うのでした。妻は、ほとんど広島の実家の家庭事情に首を突っ込んでこなかったので、今回は、支えになって来てほしいと願うのでした。こうして、実家に帰ったことが、隣近所にも好意を持たれ、代々引き継がれて来た田村家が、繁栄することができたらと願うばかりでした。妻の千順さんも、この時ばかりと両親に恩返しができたらいいのだと、喜んで送りだしたのも私でした。現状を嘆くのではなく、また誰かを責めるのではなく、これからの田村家の繁栄の為に何ができるか、思いを抱きながら、尽くしてきてほしいと思うのでした。
 我が家においても、妻の実家においても、あらゆる課題を克服して、繁栄につながるように奉仕するのが役目と思って、過ごして欲しいと思うのです。私としては、妻が留守をしている分、食事の手配・掃除と忙しくなると思うのですが、へこたれずに取り組んでみたいと思っています。今日は疲れてしまいました。なるべく眠りを深くして、明日からの妻の居ない我が家のやりくりをしっかりしていきたいと思うのでした。人生とは、「重き荷を背負って遠く道を歩むが如し」ということでしょう。誰も楽な道程などないということです。そして、一日一日一生懸命取り組むという姿勢を忘れなければ、開けてくる道もあるということだと思うのです。家族の事に取り組むと、自分というのがなくなってしまうくらい、埋もれてしまうようです。