2015年9月20日(八段語録2541)
じっくり稽古

極真会館での稽古は、本当につらい稽古が続きました。身を正すという気持ちと、何に対しても勝てる自分を確立したいという一心で汗を流しました。私が入門した時は、一緒に稽古に通い続けた仲間が突然いなくなるということは当たり前にあった時代でした。今でもそれを思うと、才能のあった道場生が共に汗を流した事が口惜しくも思うのです。極真会館に残っていれば、素晴らしい活躍をしていたに違いないと思うのでした。
今日は休みということもあって、ゆっくりしています。ちょっと肉体の法則を意識し始めるのでした。最近は日々メンテナンスが最優先という事にしています。ゆっくり身体を解しながら、血液の循環を良くするようにしています。もう年齢的に、いつ心臓に、脳に障害が起きても不思議ではない年齢に入っているのです。できるだけいち早く稽古を優先するのですが、その稽古内容は、若き血が燃え上がっていた時代と違って、リハビリ的な稽古になっています。決して無理をしないということなのです。それでも今日の稽古であっても、二時間費やしてしまうのです。
 稽古をする理由は、稽古が面白いからという面もあります。とにかく基本から始まって、四肢五体を余すことなく動かします。それも始めはストレッチから行います。野球やサッカーのようにゲーム性はありませんが、全神経を傾けて、突き詰めていくことができます。そうしていくと、黙想とか瞑想の境地に入っていきます。それは、もう一人で孤独な中で、何かに出会うという事になるのです。全身からも汗が噴き出ます。別にサウナに入っているわけではないのですが、汗まみれになってきます。それがとても頼もしいのです。もちろん、道場生と一緒に稽古をすると、組手もできるわけですから、相手を通して自分を磨くことができるのです。それも真剣勝負という事になります。
 振り返って思うのですが、稽古で流した汗の量だけ、私を信じてクオリティの高い弟子として信頼して共に歩んでくれたようにも思うのです。そしてその汗の量が、多くの弟子を作ってくれたように思うのです。世界の極真会館の道場を回って感じることなのでが、文化的内容、人種、食うこと、寝ること、着ること、何の心配もないのです。私は、そんな自信を10年以上世界中回ってみて感じるようになっているのです。極真会館の八段の帯を締めていれば、何の問題もないという事です。「八段の帯に従ってこないものは無い」という気持ちです。もちろん、そのために多くの汗と涙を流さなければならないというのが、私の信念ということです。そのようなつもりでいるので、自分に対して厳しくなるということなのかもしれません。他の分野ではともかく、この極真世界に関しては、責任を持って指導しようとする心が強くなります。
 今日は、夜の十時頃に、妻の千順さんと順香・文誉を車に乗せて、成田空港に出発します。広島の妻の実家に帰って、千順さんの弟の千行さんのお見舞いに行くのです。病気で加計病院に入院中なのです。娘たちは一週間の予定ですが、妻の帰宅はいつになるかわからないのです。それだけ、病気が深刻ということもあります。私の所に嫁に来たということもあって、一緒の時間を過ごせなかった分、姉として弟を大切にしたいという気持ちが強いということです。