2015年9月19日(八段語録2540)
血筋

 孫が生まれて一か月が過ぎました、私の親父はあの世に旅立ちましたが、母と私達夫婦、息子夫婦、孫と四世代が同居するという大家族を形成するようになりました。生命の繋がりであり、愛情の繋がりで形成された森家という事になりました。私が生まれなければ、妻と出会わなければ、息子が生まれなければ、息子が茂奈さんと結婚しなければ、そしてあらゆる仮定を越えて、愛情と生命と血統が結び付いたという大家族を形成するに至ったのでした。森家の未来が明るく感じるのも、この血筋が続くと思うのも、なぜかしら福が訪れたような豊かな気持ちになってしまいます。
 というのも、仙台駅東口や、錦ヶ丘の教室は、四歳から入門してくるのです。私の息子の事を考えても、小さい四歳ぐらいで入門させて、稽古中おしっこを漏らし、指導員の方には相当迷惑をかけた思い出があるのです。そうこうしているうちに、息子は妻をめとり、指導員をしているのです。私から出発した愛情の種が生命体として広がっていっているのです。そして、私が極真会館で人格の錬成を行ったと同じように、息子もこの道を歩み、いずれ孫も同じ道を歩むかもしれないと思うだけで、ゾクゾクしてしまいます。
 とにかく、今日は、入門したばかりの道場生の親を集めて、「なぜ極真空手を始めるべきなのか」という事を、私の体験と経験を踏まえて話しているのです。自分の実体験が講和になるとは思ってもみなかったのですが、ご父兄の皆さんは、納得したお顔をされていました。このように、極真会館で伝統を築く家庭を、いくら強調しても協調しすぎることは無いと思うのでした。まだまだ人生半ばですが、このような人生を歩んだという事に、誇りさえ抱くに至っているのです。
 ところで、ご父兄との会話の中で、多くの話をしたのですが、強調したことは、基本的な形を空手の稽古で学ぶという事でした。意外と知られていない事は、人柄とか人間性は行動に現れるという事です。それを踏まえて、見えない心の発露を美しい体の形を通じて表現していくという事を意識するのです。空手は攻撃された時の受けの形や攻撃するときの形を学びます。つまり体の使い方を学ぶのです。長い間空手道を身に着けていくと、自分の心が自然と正しく美しく表現できるようになりますから、変な誤解や間違った評価を受けなくって済むというような事を話したのでした。これも日本古来の武士道の伝統が、道場生一人一人に染渡るようになるという事なのです。
 それが、伝統に根付いた武士道の継承を道場生一人一人が習得するときに、素晴らしい内容を、身に着けるという事という意味なのです。いい加減な伝統を受けついてしまったら、武士道とは言えず、ただの格闘技となってしまうのです。それは私達が願っていることではないのです。あくまでも、心をしっかりさせて、人格の陶冶に至らなければ、何の意味もないという事なのです。それが極真の伝統であり、生命であり、愛情でもあり、血統でもあるのです。そのことを意識して、どんなことがあっても、この極真に帰属意識を持って、最後まで修練をしてほしいものだと思うのです。まずは、私を越える年月の修業をするならば、何か大きな宝を獲得することができるのだと確信しているのです。