2015年9月17日(八段語録2538)
疲れを癒す

 家に到着して、疲れてしまったのです。全神経を集中させて、帰ってきました。高速道路の運転は、決して楽なものではないようです。一瞬で事故に合ってしまいます。肉体と心が戦って、眠気が身体全体を覆うのです。そうする中で的確に判断するのです。心の判断に耳を傾けると休むようにと、どこからともなく聞こえてくるのです。それにしても、高速道路の運転は、神経を集中するものです。今日は、その影響を受けて、ぼんやりしています。それも疲れ切っているという感じなのです。外も雨が降りしきっていますので、外に出ようとも思わないのです。静かに部屋に籠りながら、黙想してみたり、風が吹いている様子を伺ったりという事です。
 雨が降っていますから、どこにも行きたくはないのです。音楽を聴いたり、何か素晴らしいことが無いかと探したりという事です。部屋の中を歩きだしたり、また止まったり、そんな事をしているうちに、神秘的な何か違ったイメージが湧いてくるものです。それが嵩じてくると平和な境地に入ってくるのです。見る目が違って、耳が開きって、鋭く何かが違って聞こえるようにもなります。もちろん、昨日までの疲れがどっと出ているのですから、何か不思議な気がします。 
 ところで、車を運転している時には、必ず眠気が差すような誘惑があります。長い時間運転していると、腰が痛くなり、早く到着しないかと思うのです。最悪の場合、頭の先までマヒしてくる時があります。何か眠気に誘惑されるようになるのです。しかし、その誘惑を退けると、頭がすっきりして、目がパッチリ開いて、運転が楽になるのです。今回もそのようなパターンであったのです。
 運転に関してだけでなく、極真会館での経験もそのような事になったように思うのです。多くの人が極真の門を叩きました。そして、黒帯まで歯を食いしばって到達した人が千人に一人排出されたかどうかでした。難行苦行を終えたのです。本当は、そこから世界が変わって、新しい世界を開拓できるのでしょうが、そこで修業をやめてしまった人がどれだけ多いかという事です。私の場合、黒帯を取得した時が、まさに、頭がスッキリして、目がパッチリ開いた状態でした。そして、全日本で活躍する道を見出し、いつの間にか師範になっているのです。そう考えれば、困難にぶつかって、黒帯も取れず、取れたとしても、皆この峠を越えられず、去っていったのでした。
 私の歩みを分析するならば、粘り勝ちという事であろうと思うのです。もちろん、高速道路の運転で眠気の誘惑で事故になることも考えられますが、誰も行かなかったような境地もあったのです。闇の中を誰も行かなかった道を歩見通したともいえるのです。耐えられないような道ではあったのですが、歩んできたことが、目がパッチリ、頭がスッキリになって、天地自由人の如く、人生を謳歌しているのではないかと思うのでした。
 疲れているのに、そんな事を考えながら、雨模様を眺めていました。次へのステップに向けてのゆっくりとした時間を与えて頂いていると思って、休ませています。明日へ向けて。