2015年9月15日(八段語録2536)
友人と共に

 朝四時半起床、議員の先生と五時過ぎには辻立ちの現場、坂下交差点に出発です。朝から朝日を覗かせていましたが、見え隠れするうちに、山瀬が入ってきて、曇りがちになり、気温も下がってきました。小一時間、いろいろな話題を検討して、私は極真の最前線に出かけました。それから、七時半には、交通指導隊として、橋本時計店前交差点で交通整理をして、子供たちの登行の安全確保と元気な姿をチェックしていました。午後からは、チラシの配布をして、道場生の新規募集を始めていました。夕方からは、東京に愛車プリウスで出発です。実に安定した走りをするのです。コントロールクルーズが装備されているので、時速100キロに設定して、367キロの道のりを4時間で到着してしまいました。
 到着した場所は江戸川区でした。私の友人で、マンション一棟を所有して、五階と六階を自宅にしていました。話は尽きず、いろいろと構想理想が沸き上がってきます。それも、三十年前の同僚がどのように活躍しているかという話題になると、話は最高潮です。結局午前一時近くまで話が続きました。友人は、三年前妻に先立たれ、三人の子供達と、暮らしてきましたが、長男・長女が結婚し、今は次男と一緒に暮らしているという事でした。同じくらいの年齢なので、気持ちがよく伝わってきます。その日は、奥さんが安らかにしている部屋で休ませていただきました。友人と比較するわけではないのですが、年齢を重ねて、歳を取ったという印象を持ちました。私の場合、日々修業ですので、肉体的な衰えは少ないと思いますが、それでもともに年相応という事なのだと思うのでした。「人の振り見て我が振り返れ」というところでしょう。
ところで、こうして、年齢を重ねて、私達夫婦、そして長男家庭、先月に孫の士紀雅が生まれましたので、祖父母・父母・子女が共に和して暮らす三世代家庭になるという事です。生きる生活の典型家庭になっているのです。父母・子女・孫は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を土台として、兄弟姉妹はお互いに信じて助け合いながら、暮らす大家族を目標としているというのが私の理想というところです。その家庭が存続できるように、私が根として生きて、根がしっかり張っていけるようにという思いになります。人としての家庭ですので、過去・現在・未来と継続できるように、しっかり大黒柱として頑張っていくことができるようにと思うのです。そのような家庭を永続させるためにも、私が頑張らなければならないという結論なのです。私の使命を責任はまだまだ尽きないという事だと思っているのです。
 とにかく、親戚や兄弟が、どこに外出しても、懐かしく思い、いつでも帰ってくることができる家庭を築いていくのが私の責任という事だと思っているのです。喜び訪ねて来られる家庭を築きたいという事です。毎年四回か五回、我が家で兄弟が集まって食事会をします。僅か二時間位ですが、兄弟がくつろいでいけるだけの、明るい家庭を作っていくという事を夢に抱いているのです。友人の自宅もそのような雰囲気がありました。本来ならば、奥さんが接待してくれるのでしょうが、あの世に旅立ってしまっているので、ちょっと寂しい思いがしましたが、よく昔の同僚が訪ねてくるという事でした。次回は、そのようなメンバーとも、友の家で語りたいと思うのでした。