2015年9月12日(八段語録2533)
秘かなる決意

 仙台ニュースカイマンションの理事会がありました。ちょっと遅刻気味ですが、それでも、主要な議題に首を突っ込むのです。もうどこでも、本音を出していくという事を決意すべき時にあると思うようになっています。何でも積極的に自己のアピールをするという事でしょう。遠慮は禁物という事です。かつて仕事では責任者として、パソコンを現場に持ち込んで、整理しながら意見を述べていましたが、今復活です。特に地域社会では、あまり人と違った方式を取ることに遠慮していましたが、自分が持っている能力を最大限活用しようとすることも必要であると思ってきています。周りに合わせる必要はないという事だと思うのです。蔓延している組織の古い悪習の打破という事です。
それが、人と人との変な習慣を正すことができるし、その先駆者としての歩みをしていっても良いのではないかと思うに至っているのです。本当に、下剋上そのもので、立場を奪うようにして、貧欲さに染まった心で、奪取して人と人の紛争を起こす人物にも、鉄槌を打ち込んで道理を正すのも良き時期に来ているのだと思うのです。そのために心が傷つくという事などまっぴらという宣言でもあります。
 さて、私の役割は、世間一般に、気に入られるように上司に、流布する誤った価値観と思想を変える革命を起こすのも良いものだと思うのです。どの組織でもそうでしょうが、糸束のように絡まった複雑な諸問題を、解決するという事が必要な時期なのかもしれないと思うのです。だからと言って、闘争を挑むというのではなく、心から溢れる愛情で相手に配慮して、協力するという気持ちは必要であると思うのです。
ところで、私は、生涯極真会館と共に歩んできたといっても過言ではないのです。稽古という気持ちを思い起こすだけで、心身が引き締まるのです。実際稽古をすると目頭が熱くなります。そして稽古の時間は、この上ない感動が押し寄せてくるのです。稽古をすると、思想の違い、人種の違い、言葉の違いを越えてしまいます。そして、そこで培った内容を、現実社会に適応させようとする試みがあっても良いのではないかと思うに至っているのです。
 私も巨大な川を目指していいのだと思うのです。本流を遡ると、たくさんの支流と出会います。本流に合流した支流は、その時から支流ではなく本流になるのです。本流は、流れ込んでくる支流を追い出さず、すべてを受け入れます。世の中は、このような自然の簡単な原則から学ぼうとすべきです。もちろん、時に大いなる壁にぶつかるかもしれませんがやり抜くだけです。思い当たることとしては、時には人に妨げられ、時には能力の壁にぶつかることも大いにあるということです。それが問題ではないという信念を持とうと思うのです。
 とにかく、成功も失敗もあった一日です。どんな事にもめげずに、行こうとも思うのです。残念ながら、今日は友人の通夜に出席してきました。何かとても寂しく思うのです。それでも参加しながら、友人の分も生きていこうと思うのです。とにかくポジィテブに物事に対処しながら前進です。