2015年9月11日(八段語録2532)
大雨特別警報

 緊急事態の発生という事で、消防本部より三次緊急招集を昨日23時23分なされました。大雨警報がなされ、緊急事態ということです。私も東消防署に車で駆けつけ、消防団の陣頭指揮を取るという役割で、机にへばり付くのです。実際は、署長を中心に消防職員が主力になって、災害に取り組むシステムです。各消防団に対する指令も職員主体になって、動いているという事です。それでも消防団の本部を形式的に立ち上げられ、それなりに、署長をはじめ、職員が報告してくれるという状況でした。真夜中から、激しく雨が横殴りに振り付けます。それも、帯状に仙台平野に積乱雲をもたらし、切れ目なく雨雲が沸き上がって通り過ぎていくのです。
 昨日の朝から、栃木・茨城の鬼怒川河川で護岸が決壊して、大きな損害をワイドショウで見入っていただけに、それと同じような状況で迫ってくる大雨特別警報という事で、緊張が走っていました。消防に入ってくる緊急出動、けたたましく鳴り響くサイレン、急いで出動していく職員、すべてが緊迫した状況を醸し出していました。夜通し緊迫した気持ちを切らさずに机に座っているのです。もう最悪の大災害がもたらされるのではないかと、重苦しい心境で、夜中を過ごしているのです。床下浸水、床上浸水、道路の冠水、様々な状況が消防署に入ってくるのです。泉ヶ岳に大雨が降り注いでいるという事で、七北田川の堤防を濁流が超えるのではないかとハラハラしてしまいます。私も自宅と菅野師範に、近くに住んでいるので、夜中電話して対応するように指示をして、細心の注意を払っていたのでした。
 そのような事で、一日の消防活動が一昼夜続いたということです。振り返って、一日の流れが、情報連絡が正午に図られ、それに伴って、第一警防体制が発令されました。二時近くには第二次警防体制が全市的に発令され、異常気象非常配備における第三次配備がなされたのです。午後七時には水防警報が発令され、名取川・広瀬川の警戒態勢に入ったのでした。そして、午前零時には、各消防団に巡回警戒出向指示が出され本格的な警戒に入っていきました。午前二時に十分には仙台市内20万人にも及ぶ避難勧告がなされ、最終的に三時に十第四次配備という消防団全員の出動という事になりました。そのような時系列的な流れでしたが、緊張した一夜を明けたということです。これも人生に何度もあることではないので、東日本大震災があった事を思いだしながら、真剣に取り組んだ一日という事になったのでした。
 このような、自然災害を目前にしながら、非常災害に対する、消防団の活動の必要性とそれに立ち向かって、一日を過ごさせていただいたということです。朝八時になっても、消防団の役目もまだ終わることなく、最後まで見守る立場ということなのです。特に本部なので、その使命の重要さを痛感しているのです。また、自分を振り返って、このように地域の安全・安心に携わらせて頂いていることに感謝ということです。消防の苦労も身に染みて現場を見ているだけに感じることができました。そして、消防団という組織の中でも、一言も文句も言わずに、ひたすら甘んじて人間関係を受け入れている自分に強靭な精神力を感じるのでした。一度決心した場合、生命を捧げて進んでいくだけです。