2015年9月10日(八段語録2531)
ふらふらで帰国

 機内でふらふらになりながら、成田空港到着です。会長も私も疲れ切っています。東横インのホテルの駐車場から、愛車プリウスを引き出し、流山市の会長宅に一直線という道のりです。私の場合、仙台まで帰るために、早めに帰路に着きたいという事で、すぐに高速常磐道に乗って一目散という気持ちでした。さて、思い起こせば、アメリカでのセミナーは道場生が一体感を増していくという日々でした。考えることもなく、何を感じるかといならば、一つになっていく手塚グループということです。この一つになっていくセミナーの道場生の姿勢を共感もするし、慕わしく思うのは会長だけでなく、全員の気持ちとして表れていったのでした。もちろん、課題が無い訳でもないのですが、この全員の気持ちを盾に発展を成し遂げていくことができるという確信も生まれてくるのです。一人のパワーは弱いのですが、このセミナーを出発点として、アメリカの手塚グループ全体として取り組むと大きなパワーが生まれるという事でしょう。
 さて、個人としての修行をしてきて、私が稽古をしていた時代は、大山総裁以下、道場生が一つの組織で運営されていました。それゆえ何の矛盾もなく、ただ稽古に打ち込めば良かったのでした。しかしながらこうして、総裁が亡くなってから、二十数年の年月が経過するようになると、分裂を繰り返しながら極真人口は増えました。けれども責任者によって、まったく違った方針を出すので、纏まりが無くなってきているのです。しかし、空手界全体で考えれば、これは喜ばしいことではないことであろうと思うのです。今までの築いてきた歴史の背景、伝統が粉々にされていくようで仕方が無いのです。今後どのようにして、この極真を立ち上げていかなければならないかということが早急の課題になってきます。そうでなければ、極真を誇ることができなくなってしまいます。
 それゆえに、私達が歩んだ初期の極真会館がいかに尊かったかということです。今更ながらに、一致して行動を共にすることが、どれほど尊い価値があり、素晴らしかったかということを思い起こしてしまうのです。当然、過去の話になると、そんな時代が慕わしくて仕方がありません。それでも、夢にまで出てくる昔の思い出を振り切って、新しい開拓をしなければならないのも、未来を託された私達であるということです。そして、その現実を歓迎しなければならないということも、重々心に留めておかなければならないということです。こうして、違った道をそれぞれ歩み始めた極真であれば、破壊的、分裂的行動をこれからも行うということではなく、自分達が信じた道で、一つになることを強調しなければならないという思いになります。
 今日、私達が行くべき道が、最終章になれるように、段階的な願いではなく、究極的な道を切り開く覚悟を持っていこうと思うのです。そのために、副会長としての私ができることは、第一に、人格と内容を磨くことであると思うのです。第二に、道場生に私の生活と行動を示していかなければならないということです。見せかけや、仮装ではなく、本物をしっかり示すのが私の役割という事になります。本物の極真の修行者として、堂々と立っていくことができるようにしようと思うのでした。