2015年9月2日(八段語録2523)
夢の始まり

 息子の嫁の茂奈さんのお母さんが仙台空港から、岐路に付きました。途中、実家によってから、ロサンゼルス近郊のラキゥインタに帰るという事でした。様々話したいことはあったのですが、それ以上に千順さんがケアーしていたようでした。私の家は、二世帯住宅とうことで、息子夫婦と一緒に暮らしているのですが、三世代が一緒に住むという、大家族になったのでした。私の母も同じ敷地内で別宅に住んでいますので、四世帯の超大家族という事なのです。私としては、言葉を慎重に選択して、良き超大家族を維持していきたいという思いになります。今の心境は、問題や課題を指摘するのではなく、どんな人も許すという事でしょう。それも問題なくという事です。我が家の理想を下支えするところに、真理があり、家族愛があるという事です。そして、振り返れば、かつて夢を見ていたことが、叶っているという事を実感しているですから、幸せ者という事でしょう。
 もちろん、私の人格的な至らなさは、それなりに目につきます。心の葛藤もあります。それだからといって、どうのこうのというのではなく、自らの課題を克服することが、人生の成長に役立つのだという気持ちを持つのです。家族全員の願いに叶ったお爺ちゃんには、なれませんが、それなりに答えを勝ち取っていく覚悟があるのです。そうすることによって、苦手を克服して、どんな方向でも愛情が行き届く人となり、環境を築いていくという作業をしようと思うのです。「自分と闘え」というのが、私の信念であり、その戦いの結果、人をより愛情でもって包んでいける包容力になるのはないかと思うのです。これが、私の理想を求める、今まで培ってきた法則という事です。そうしないと、我が家は繁栄しないと思うのです。
 ところで、息子も周りのスタッフに、引き立てられるようになってきました。スタッフから邪魔にされるのではなく、頼りにされるのですから、親としてこんなにありがたいことは無いと思うのです。それでも、まだまだ仮免許にも至っていないので、親としては心配になります。それでも、最近は毎日数キロ走っているようです。今度の昇段審査でぶざまな真似はできないという事でしょう。もう数か月続いているので、本気のようです。私は、人生六十年、生涯の中で、様々な事を体験してきました。どちらかというと、高い理想を持ちながら、現実は、避難民のような生活をしてきました。そして、したくなかったこと、取り組みたくなかったこと、行きたくなかった所に積極的に出かけました。一番嫌な事を、人生の若かりし青春時代に率先して、やり続けたという事です。それで、この年になって、私の描いた理想が、現実味を帯びるようになってきているのです。
 いつも思うのですが、強烈に高い理想、そして、その理想を達成するために、乞食もさげすむような生活という事でしょうか。人生の第四コーナーに差しかかって、現実と理想が天の川のように、懸け橋になってきているのです。それが、何とも小気味がいいのです。今でも、毎日、農夫にもなるし、チラシ配布のおじさんにもなるし、「何でもござれ」なのです。それもこれも、このような、極真会館を通じて出会った人達で、大いなる夢のページを開いてくれているようです。ますますこれからが勝負という気持ちです。