2015年9月1日(八段語録2522)
嫁の茂奈さんの誕生日

 今日は息子の嫁さんである茂奈さんの二十四歳の誕生日です。国際結婚なので、どちらかといえば、私達夫婦が忍耐して、主張する事を受け止めなければならないという事を考えます。とにかく干渉しがちな私達夫婦ですから、自重するという事であると、心を戒めています。日本人の嫁さんでしたら、民族が一緒ですから、そんなに習慣や伝統が違うわけはないので、こちらが耐え忍ぶという事は無いのでしょうが、アメリカ育ちですから、今は「愛と忍耐」を、旨としての歩みという事になります。そのような気持ちも一瞬だと思います。というのも、私の親父はもう四年前にあの世に旅立っていきました。思えば、六十年間過ごした期間はわずかという事でしょうか。一瞬の出来事のようにも思ってしまいます。それでも、心に良い思い出が焼き付いているのです。それが、今の私の財宝なのです。人生というものは、朝もやのごとく、束の間の事なのでしょう。そのような意味では、心で愛情を注ぎ、喜んで忍耐しようという気持ちになるのです。
 さて、今でも取り組む課題に関して、必死になります。遊びは無いのです。己の骨髄にまで、染渡るように、念入りに検証します。自分という感情と、今まで生きてきた習慣や伝統を無くしても、息子の嫁を愛するという気持ちを変えないようにという「努力と忍耐」という事です。もちろん、いつも深く接しているわけでも無いので、ただ対応能力を、磨くという事に気を配っているのです。そうしないと、心の闇が私を覆って、何か息子の嫁に要求するようになるのではないかと恐れているのです。結局は他人ですので、愛情を持つという事で、すべての心の在り方を見出して、改めて謙遜・柔和という意識に至ろうとするのです。そうしないと、親子三代が繋がらなくなってしまいます。途中破綻が無いように見守り続けるのもお爺ちゃんの使命という事でしょう。
 とにかく、お爺ちゃんとして、いろいろ言いたいこともあるし、息子の嫁として、育てたいという気持ちも強いのですが、スムーズでない心情面があるとしたならば、我が家の環境で、愛情を持って見守るという事でしょう。そうすれば、突如として、私の家族が一変して、家族の行く道を守ってくれるのではないかと感知することができると確信しているのです。それ以上に、家族の事、極真会館宮城県本部の事、手塚グループの事、すべてにわたって、意識のアンテナを高めて、無条件に奉仕していく覚悟が必要であると思うのです。いつも試合では、のるかそるかの絶対的に追い詰められる境地に立ったものです。そんな境地を、これからは、与えられるのではなく、自ら開拓していくのだという覚悟しているのです。
 孫の士紀雅君も元気にしていました。見るたびに変化していきます。嬉しさがこみ上げてきます。孫と一緒に、一日一日を新しき日として、家族が発展していくようになるのが、日常生活で在りたいと祈るような一日になりました。茂奈さんに、誕生日おめでとうと心から祝っていました。夜は、博先生と健康管理の為にリハビリを兼ねた運動をしてきました。能力以上に健康が願われる昨今です。それだけに、念入りに筋肉を解し、筋を伸ばして、ゆっくり、「継続こそ健康」という気持ちを持って、対応していくことを確認しました。お互いに身体は消耗していくのですから、託されたミッションの為に維持できればと思ったのです。