2011年11月23日(八段語録1509)

積極的人生観(82)
 勤労感謝の日

 親父が亡くなって、一か月が過ぎてしまいました。根白石の別荘に来て、一日を亡くなった親父と過ごしています。畑に出かけたり、周りを散歩したり、家の中を掃除したり、備品を購入しに大型ショッピングセンターに出かけたり、太陽が上がる頃から、動き回っているのです。畑の周りは、環境が里山なのです。とても心は和むのですが、未だ気持ちの整理はついていないようです。床が寒いので、電気カーペット二帖敷きを購入、紙の裁断機を必要に迫られて購入、灯油がなかったのでガソリンスタンドで購入、食糧一日分を購入、酒は飲まないので、ペットボトルに山水を入れて、コーヒーを親父と晩酌をしていたのです。
 親父が亡くなった告別式の時とは、違って時間が解決してくれるものがあるのです。森家をどのように社会に貢献するかという意識が不思議に生まれてくるのです。コツコツと努力を重ねて休まずに頑張り続けた親父のDNAは綿々と私にも引き継がれているようです。その為にも、親父と対話しながら、家督としての自覚をするようになってきたのです。これから、我が家の舵取りをしながら、兄弟家庭の先頭に立たなければならないという事です。
 家族の結束はもちろんの事、兄弟家族との結束を果たさなければならないという事です。役割としては、トップに立つというよりは、底辺で支えるという意識が、私の役割分担であると思うのです。陰ひなたになりながら、身内の結束を固めるという事が、第一の私の心情態度であるべきなのだと思うのです。私の家族に愛情を注ぐという事と、それ以上に兄弟家族の事を思いやるという事が役割という事です。その事が出来ない事には、これからの極真会館手塚グループの発展を検討する事さえおこがましいのです。
 夕方には、家に帰り時間を忘れるくらい千順さんと話をしているのです。まだ手続きが進んでいない、母と私達の年金納付の問題、大江司法書士事務所から来た財産分割の書類の作成、今後の下宿の運営、様々実務的なことが話し合うのです。夜が更けて寝ようとするのですが、話している内容が重いので、布団から起きて、書斎に籠ってしまいました。
 そのような静かな真夜中、路上が騒がしいのです。警察官が十名近く周りを伺っているのです。隣の峰岸さんの御夫婦も外に出ていました。何があったのかと聞くと、泥棒が屋根裏を伝わって逃げて行ったというのです。その大捕り物が行われようとしていたのでした。よくよく見ると、我が家の二階の窓が開いていました。警察官が二階の娘の部屋にやってきました。被害がないかという確認でした。さらに、四十名近くで、犯人逮捕の捜索活動が始まったのでした。最終的に朝方の三時半まで続けられて捜索は打ち切られたのでした。
 いろいろなことが、起こるものです。すべての社会の現象は、我が家にも当てはまることですので、心して架からなければならないという気持ちにさせられます。大捕り物があったことも、知らないように、娘たちは起きてきました。母親と私は色々な意味で徹夜になっていました。波乱の幕開けなのかと思うのでした。