2015年8月31日(八段語録2521)
無駄足でも日々成長
朝から畑に、玉ねぎの種植えの話を千順さんとして、出かけようとしていた時に、娘の順香が携帯電話の液晶にヒビが入ったという事やら、携帯を変えたいという話を持ち込んできたのでした。それで、ソフトバンクショップに行って、アイホーン6に機種変更をするという話になって、付き合うようになってしまったのです。電話の使用内容を見ているうちに、解約したと思っていたネット回線の使用料を支払っていたり、いらぬ付属のアクセサリーがついていたりという事でした。契約から外して機種変更すると、今までよりも二千円以上安上がりになることが分かりました。そのような事で、対応しているうちに、妻の千順さんは一人で畑に玉ねぎを植えに出かけてしまうやら、娘に最後まで使われるやら、何か無駄な時間ばかりが過ぎてしまったという気持ちになります。それもありますが、お節介にも、仙台ニュースカイマンションの管理人が急に辞めたので、知り合いに無理やり打診したりしていました。それなりに、だれかれと、困ったことに対応させられた一日になりました。
さて、私はどのような生き方をしてきたのかという事を冷静に分析するのです。人と違った生き方を積極的に推進したように思ってきたのです。自分で新しいミッションを作成するのです。そして、それがいかにも深刻な内容でのレベルまで高めようとするのでした。ですから、勝手に深刻な気持ちで、新しい運営と共に、私の基盤を固めて、任務に当たるというような作業をするのです。それなりに、自分の身の振り方を価値あるものにしようとする思いがあるのです。ですから、今の習慣を脱却して、新しいミッションに向けて、できようができまいが、私がしたいという心を最大限活用するという事を実践するのです。新しい現在の観点と過去の観点が違う事が多いので、新しい自覚と新しい気分と新しい決意で、環境を整えて、対応していくという事になります。
ところで、仙台に帰ってきて、極真の道も、一段階、二段階、三段階というように段階的に上がってきたように思うのです。最初は、まだ選手を引きずっているところから、指導員、それから、師範代として責任を負うようになりました。次に、道場を運営するようになって、独立して師範として基盤を作り、今は代表師範として、日本と世界を股にかけているのですから、自ら実践することができるという心を持って歩んできたという事です。つまり、実践してきたことが環境に適応するようになり、成果を収める人格体になるという事に重きを置いてきたという事です。結局今の心も、二十年前に仙台に帰ってきた時の心も、極真に対しての姿勢は同じだという事です。もし、今の心が過去の時の心よりも、劣るようになれば、存在すらしなくなるという思いになります。
今、実感することは、礼節や道徳、そして何事に対しても、あらゆる過程において、加重されてきて重いのです。世間知らずだった若き日の時よりも、劣るような取り組む気持ちを持つならば、それで終わってしまいます。つまり、今の心境は、過去の能力では、なすことができないことが多いという事です。そのような意味でも、9月は新たな気持ちで、再投入するという覚悟が必要になってくると思っています。来月はもっと汗と涙を求める歩みをしようと思うのです。そんな覚悟を八月最後にしているのでした。