2015年8月30日(八段語録2520)
不利益な人生 それでも満足

 今日は一日、真剣に自分を見つめているのです。一生懸命に努力する人生を歩んで来ましたが、その時、その瞬間は徒労に終わるのです。疲れ果て、目標とは程遠く、ここまで頑張っても成果が出ないという日々を、黙々と歩み続けてきたのです。いくら頑張っても、損失だけが多く、「何をやっているのだろう」という疑問が沸き上がる程なのです。決して商人にはなれないような体質なのです。それでも投入することをやめないのです。若かりし頃も、何の益にもならないのに、修行の道を続けてきました。ふつう考えれば、時給いくらとか、今月の給料はというように、金銭で物事を図るのでしょうが、全く別世界での歩みをしているのです。利益を考えない人生と割り切っていました。それでも、その期間を金銭に換算するならば、とてつもない金額になっているのではないかと思うのです。
 それよりまして、もっと馬鹿げているような一面は、私と付き合ってきた人たちに対してです。どんな観点で接して歩んできたかというならば、その人の為になることのできるような修業をしてきたのです。学問も教養も、その観点で身に着けてきました。ですから、私と付き合った人ならば、必ず良き影響を受けることができ、何らかの「得」をする気持ちを持って、付き合う事ができるようにしたのです。私と付き合って、よき影響を与えられると認める立場に立ちさえすれば、それだけで、変なライバル意識もないし、私の傍を離れようとはしないのです。これが、私の人生の歩み方であり、その道を切り開いてきたという事です。ですから、私から、不利益で吸い取られるという事のない人間関係を構築してきたのでした。
 ところで、今でも、私が本当に間違えば、頭を下げ、また成果を上げたとしても頭をもたげる事無く、黙って黙々と歩んでいるのです。というのも、実績を上げることを目標としたのではなく、誰もが自然に私の味方になるようにという思いからなのです。たとえ僅かな、実績を上げて誇ることよりも、周りの人たちが私を認め、肩入れしてくれるように仕向けたという事なのかもしれません。今でもこのような姿勢は変わらないのです。それだけに、個人的には、何の利益も上がらないのですが、多くの人が私の味方になる環境を築くという観点での人生という事なのでした。それだけに、一生懸命歩めば歩むほど、損をする人生を真剣に歩んでいるのです。今日一日の損失は10万円ぐらいかなとソロバンをはじきたくなります。
 結論として、このような生活態度を持って歩んでいる人は、いないのです。少し金銭的にも余裕が出てきている人には見かけることがありますが、私のように無一文に近いような人には、出会わないのです。子供にも無条件で投入します。息子の嫁にも、無条件です。それでも、感謝は期待しないのです。当然のように思われています。それでも、そうすることによって、私の味方になってくれれば、未来に続くと思っているのです。それだから、深刻なのです。浪費であり、不利益を承知で、それも一生懸命尽くします。もちろん、見返りや感謝の言葉も必要ないと思っているのです。道場生に対しても、立派になると、勝手にやめていきます。それでも、その人の為になったらと要求はしないのです。こんな苦しい、真剣な、そして何の利益をもたらさない人生を行くことを、心に決めているのです。