2015年8月25日(八段語録2515)
貫く意義

 小中学校の夏休みも、昨日までという事で、今日から登校日なのです。私はというならば、朝から交通指導隊として、子供たちの元気な姿の確認しているのです。元気に挨拶してくれる児童、悩みを抱えている児童、どんな児童であれ「がんばれよ」という祈りを込めて、見送っているのです。そのような親心の気持ちでいるのでした。もちろん、自分を振り返れば、自分の足らなさ、弱さを知っているわけですから、私自身の姿勢を検討するのです。
何といっても、最も重要な事は、極真の道への決意になってしまいます。たとえ台風が、地震が、津波が来ても、この道を歩む障害にはならないのです。実際に、東日本大震災から四年半の歳月が経過しましたが、進み続けているのです。大震災が極真の道を歩むことをストップさせることはできなかったという事です。私の姿勢はというならば、極真の道に対する絶対的な誓約なのです。その心があるので、どんな困難な道も乗り越えていけるという確信を持つのです。  
 さて、私としても、時間を無駄にしたくはないのです。回り道もいやなのです。もちろん、多くの人に裏切られたこともあります。それでも一度決めた人生に対して、決意を固めることで、会長や道場生からの信頼を得ることができているのだと思うのです。人は誓っても、次の瞬間裏切ってしまう事もあります。歴史はそのことの繰り返しという事といっても過言ではないでしょう。会長との絆を考えると、もう二十年に及ぶ期間ともに歩んでいることになります。その間、やはり会長に信頼されることのできる何かが、私になければならないという事になります。信頼される「何か」とは、あまりないと思うのですが、今思えば、会長と共に二十年歩んだことが、信頼に繋がっているのだと思うのです。会長が即座に私を信頼したわけでも無いというのは想像がつくことです。もちろん去ることは、いとも簡単です。しかし、二十年に及ぶ期間、共に歩むことは、実に難しいと思うのです。そのことが信頼に結び付くと思っているのです。
 ところで、今もですが、極真の道に対して、強い確信を持っているのです。どんなことがあっても、四十年以上続けてきました。そして八段の段位をいただいているのです。これも継続してきたからという事です。時には、段位が上がるという合宿で、私だけ上がらなかった悔しい時もありました。それでも過ぎてみればいい思い出なのです。いつも、一環とした心境は、時間を無駄に過ごしたくはないという事でした。そして、決して心変わりをしないという言事でした。そんな状況を作り出せたのも、第一に、信じられないときでも、決して変心しないという事でした。第二に、あらゆる知恵を尽くすという事であり、第三に、愛情を注いでいくという事だったように思うのです。このようなしっかりとした誓いと、態度であれば、越えていけるという事なのだという事です。
 午後からは、畑で大根の種まきをして、夕方七時から、交通指導隊の会議が持たれました。今後のスケジュールを中心とした会議でしたが、それなりに、充実した一日を送りました。家に帰ってからは、千順さんとの会話を楽しみながら、共に生活させていただくことに感謝するのでした。疲れた身体も癒されたのでした。