2015年8月23日(八段語録2513)
感想
午前中、ゆっくりしながら、昼前には、那須高原に移動研修に行ってきました。プリウスの調子が、とても良いのです。久しぶりに高速道路を走り、車も電気から、ガソリンでの走りになりました。燃費がリッター30キロぐらいでしょうか。那須は、天皇陛下が来られるところという事で、夏休みという事もあって賑やかで人でいっぱいという所でした。研修は、四時過ぎからありましたが、あまりピンと来ないのです。そんな中、自分の人生で一体何をしたかという事を勝手に問うような思いが沸き上がってきました。講演には、あまり関心を示していない自分がいました。それよりも自分が、何をするのかという事が脳裏をかすめます。故郷に帰って、親父の意志をついて、嫡男として歩み始めましたが、個人としての所有権を考えると、いまだに何もないという現実があります。もちろん、今回の士紀雅の誕生は、素晴らしい財産であり、永遠の所有を許された所有権という事になります。ちょっと考えると、私はどちらかというならば、その気があるのですが、今死ぬとか生きるとか、人生が何だとか空しく、放浪して落ち着く所がなくて、気が狂ったように追い求めてしまうようなこともあります。
さて、今の価値観は、愛の懐を大きくしようとしているところです。個人的にも、家族にも尊敬されるような生き方をしたいという思いになります。自分が埋葬されるときに、一緒に泣いてくれる家族がいるのだろうか、妻はどうなのか、私と一緒に人生を行きたいという声を聴けたならば、それだけで大きな気持ちになるようです。私は、家族にも、妻にも愛の心を植え付けるようにしているのだろうかと考えます。それなりの人格基準を作り、愛情を中心に関係を持って、しっかりとした主人になれるようにと思うのです。それが、私にとって、最高の財産であり、大金持ちという事なのだと思うのです。
ところで、講和を聞くよりも、ここに集まった人とデスカッションをしてしまいました。自分の人生観やそれなりの生き様を話しましたが、それが何とも言えない良い時間を過ごしたことになったのです。心は満足しましたし、聞くことも話すことも、それなりに、誰にも言えない感情に浸されてしまいました。多くの人と連結され、喜んでいる自分がありました。このような会話を楽しんだのですが、今回、自分が受けた最大の贈り物であるように思えたのでした。いつもの生活の延長のように、飯を食べて、寝てというレベルでは、本当の思い出にはならないようです。こうして、五時間も六時間も話している中での、心が何とも最高の感動です。歳月をただ何となく送るような真似は自分にはできないようです。こうして、話し合う中で、愛情で自己の所有版図を広げていくものであろうとも思うのでした。
そのような思いで過ごしました。私の仕事は、良い人材を社会に排出すること出るのです。これが極真空手道を通じての私の本職という事になります。今日も一生懸命生きてみました。そこで感じるものは、心豊かな愛情の延長みたいなものです。そして、休もうとする時間ですが、有難い日を送ったという格別な思いも生まれてきました。寝る時間がもう午前二時半を過ぎていましたが、何か思いを巡らせているようでした。