2015年8月22日(八段語録2512)
悔しさをバネに
今日は、私が歩んできた極真の道で、誤解されたり、いじわるされたりしたことを、ちょっと書いておこうと思っています。余りそのような事を書くのは嫌なのですが、実際の話ですから、書かざるを得ません。青少年教育を通じて社会を明るくするという願いを込めて、2002年に仙台市青葉区中江に常設道場を開設しました。町内会長さんの協力を得て、道場は順調に成長してきました。ところが、昨年、移転せざるを得ない状況に追い込まれました。それは、県営住宅の道場から一番離れている住人が、事務局長に苦情を言い続けてきたのでした。もう、恫喝に近い状態でした。嘘も方便という事もあって、100回も言われ続けると、本当にそうなのかという事を考えてしまうものです。別に私が会って、一括するか、そのたびごとに警察と連絡を取っていけば何でもない事でしたが、すべての責任は事務局長が取っていましたので、その判断に従って、宮城野区の五輪に移転したのでした。これは悔しい事の一つでした。
さて、振り返れば、この中江の道場での悔しい思い出が、もう一つ、深く心に残っているのです。今回の移転の件以上に、かつて共に歩んだ道場生であり指導者に取り立てた人達が、極真会館宮城県本部を裏切っていったという事です。その時の悲惨な気持ちや痛みは、体験して初めて分かることでした。道場の移転しなければならない状況は、事務局長に任せていたし、口惜しいけれど、移転すれば済むことです。しかし、元道場生であり指導者による裏切りは、まして、出て行って道場を立ち上げられることは、最も痛い事であると感じてきたのでした。そして、その空手団体に関しては、決して邪魔したり、破門状を書いたりという事はしなかったのでした。もちろん、親しく付き合っている他流派の師範の方に、試合に出さないようにという事も決して口が裂けてもお願いしなかったのです。相当二チャンネルにも悪口を書かれてきました。それでも、基本、黙然として歩み続けたのが、今までの極真会館宮城県本部という事になります。そして、今は心許せる気持ちもあるのです。
ところで、このような事は、一度ならず人生で何度も味わってきたのです。振り返ると、涙が出てくることもあります。その気持ちを強く持って歩んできた方が、会長という事です。会長と同じ事情を味わい、その心情を知っているから、私も支えることができるのだと思うのです。そのような意味では、親もわかってくれない事、妻も分かってくれない事、一人として理解してくれない事でも、会長は経験しているという事で、孤独な友になれるような気がしているのです。そんな裏切られた時には、一人の男が、こんなにも弱くなってしまうものだと思ったものでした。そうしながら、今の時を過ごしているのですから、自分の人生を何であったかと総括などできないのです。まだまだチャレンジしなければならない事の方が多いように思ってしまいます。
明日は、那須で研修があります。早く休もうと思うのですが、こんな気持ちが沸き上がってくるようでは熟睡などできるはずはないのです。それでも、悔しさと、許しを武器にして、次のステージに戦いの駒を進めていかなければならないという事であると思っています。決して、安住など出来はしないのです。そして、戦いの矛先を明日に向けて、チャレンジです。