2015年8月17日(八段語録2507)
新たなパワー
お盆明けというものの、仕事を始めるような気持ちにならないものです。それでも、心に鞭を打って、師範室に出かけて、保護観察所に提出しなければならない書類を書き上げていきました。その後、高校野球の宮城県代表の育英高校の試合があるという事で、テレビをつけて、観戦し始めました。いつも練習試合をしている秋田商業という事もあって、安心してみることができました。練習試合では、いつも十得点の差をつけて快勝しているという事でしたので、その位の差が開くのかと思っていましたが、甲子園という舞台では、そうはいかないようでした。それでも、伸び伸びとプレーをしているのが手に取るように分かりました。そのような恵まれた組み合わせという事もあって、力の差が表れた試合になりました。優勝に手が届くのではないかという微かな期待も生じます。準決勝戦は早稲田実業という事で、今大会の台風の目である、清宮選手を要するチームということで、試合が楽しみになります。ちょと、マスコミに踊らされている面もありますが。
さて、午後から畑に出かけようと思っていたのですが、雨が大降りになってきました。それで、結局は師範室に籠って、ブログを書くという事にしました。親父の時代、私の時代、息子の時代、そして孫の時代と四時代を過ごさせていただけるという事なのだと、距離のあるような時間ですが、思い出の世界では距離はないに等しいという事のように思えます。心に残る生き様としての、今までがあったように、これからも孫と共に歩む人生も、生き甲斐あるものになると確信をするのです。ブログを書き始めたのは、12年前の事ですから、その時は、過去を振り返って表現してきましたが、今は、リアルな現実を見つめながら、悲しみ、嬉しさのすべてを端的に表現できるので、有難いと感じています。日々に徹した心、切実な心、恐れる心、かしこまる心のすべてを、すぐに振り返ることができるのですから、良い事という事です。
確かに、八月十四日の士紀雅の誕生が、新たな始まりという気がします。天から送っていただいた、孫を擁護し、育てる人生が始まるのです。自分の子供の時とは、ちょっと気持ち的には楽な面があります。それでも孫の助け手になろうと思うのでした。最低、悲しい人生だけはおくらせたくないというのが、私の気持ちです。それだけに、いつでも心配してあげることができる心を持ちたいと思うのでした。彼の為に何ができるのかを探り求めようとする人生になるのだという事です。いろいろな人も心配してあげなければならない立場ではあります。そんなことを考えながら、強い雨が降り注ぐ中、トレーニングに出かけたり、気持ちを整理したりという事でした。
家に帰ってみると、茂奈さんのお母さんが成田に着いたという知らせがありました。夜行バスで、仙台に向かうという事です。茂奈さんも実の母親に息子の誕生を報告して、喜びたいと思っていると思うのです。何はともあれ、孫は親戚・家族を引き寄せてくれる救世主のような存在です。こうして遠くアメリカから母を呼び寄せ、親戚に喜びの刺激を与え、森家に限りない恩寵を送ってくれる孫に何と言っていいか分からないのです。そして、私の人生に大いなるパワーを注ぎ込んでくれていることになっているのです。