2015年8月15日(八段語録2505)
命名
朝から、冷蔵庫をマンションから自宅に移動、自宅の小さな冷蔵庫をマンションに移動、兄弟家庭が集まってくるので、きらら寿司に注文していた食材を自宅に持ってきました。十二時半には、家族が集まって、御盆の食事会です。妻の千順さんが朝から準備していた食材と寿司、一品持ち込んでくれた兄弟家庭の食材もテーブルに乗せて、豪華な食事会となりました。最初に息子の聖義が息子の命名を筆で描きあげました。「士紀雅」でした。読み方は、「しきまさ」、昨日生まれたのですが、丸一日名前を誰にも話さずに、親戚一同が集まった本日、大公開という言事でした。本人が書いて、お爺ちゃんの私が清書して、部屋に飾るというのです。息子も親父になったという事のようです。今日はとても平和な家庭の集まりです。そして、孫の誕生ですから、どんなに幸せな事でしょうか。それも親戚全員に祝福されたのですから、孫の将来も明るいものがあります。有難いことです。
さて、このように与えてくれた孫に感謝です。人生試練がつきものですが、こんなにも幸せな時を過ごさせてくださったのですから、どんな試練も受ける覚悟ができるというものです。そして、強くなって、この家を守っていこうとする、気持ちが大きくなります。このような恵みを受けたという事は、もちろん神仏の加護があったのだと思うのですが、それ以上に息子夫婦が決定してきたことであると思うのです。当然、私たちは何もできませんが、希望に燃えて、目を輝かせてきたという事です。これからも、十年後も同じように希望に燃えて、目を輝かせて行きたいと思うのでした。私は、極真の修業は絶対に必要であると思っているのです。空手道という修練があったから、強くなれたし、どんな人に対しても、心からひざまずいて、頭を下げることもできるのです。重要な事は、確信を持って約束を遂行していくことのように思うのです。
ところで、私はこのような恩恵を受けたときは、すぐに畑に行って心を穏やかにします。そして、一人この幸せを噛み締めるのです。それは何か祈りのようなものです。もちろん、このような事を、多くの人に話したいと思うし、話すときは目を輝かせて、興奮しているのだと思います。そして、だれかれと捕まえては、お構いなく、エキサイトするのだと思うのです。それは分かっているから、今日は夕方から畑にきて、一人静かに瞑想に耽っているのです。これは、私の心の中の訓練という事です。私が、社会貢献をしているのも、このような恩恵を受けるためなのかもしれません。そして、これからも社会の為に頑張る決意にもなるのです。もっとこれからの私の人生も、あらゆる困難に立ち向かって、壁を打ち破ろうとして進めば、必ずエキサイティングな人生になると思うのです。そしてそれを覚悟するのでした。
今日は夕方8時まで草刈りをしていました。もう辺りは真っ暗です。それでも、作業をやめる気持ちにならないのです。妻の千順さんから言われたキュウリ・ナス・トマトの収穫を済ませ、黙々と草を刈っているのです。こみ上げる幸せを力にして、草を刈っているのです。
家に着く前に、東仙台のスタバでコーヒーを飲み、心静かにして家に帰るのでした。何と幸せな日々が続くのでしょうか。感謝です。