2015年8月14日(八段語録2504)
12時42分 孫誕生

 今日は朝早くから、茂奈さんに異変がありました。息子の聖義の勤務先がお盆休みという事もあって、一緒に病院に付き添う事ができました。陣痛が始まったようで、急きょ病院へ夫婦で、という様子です。昨日が予定日でしたので、一日遅れの出産になるということです。すぐに病院の看護婦さんから連絡があって、「夜中に出産になるだろう」という事で、プロが言うのだからと、安易に考えていましたが、12時を回ったところで、もう分娩室に入らなければならないという事で、心の準備もなく、12時42分無事、男子誕生という事です。ちょっと会合があって、心が伴わないままに参加をして、すぐに病院に直行です。到着すると、息子と茂奈さんの妹の美奈さんが赤ちゃんと一緒にいました。抱っこして、写真を撮って、メロメロな私になっていました。茂奈さんも赤ちゃんも元気という事で、母子ともに順調という事でした。
 さて、私は畑の草取りに出かけました。どのように感謝していのか分からないので、静かに自然の中で作業していることが、心が落ち着くと思っての農作業を始めた訳です。やはり嬉しいやら喜びやらで、農作業も楽しくて仕方がありません。予定していた以上の面積を耕していました。これからは白菜と大根を植える準備をするのです。息子の誕生の時が思い出されました。息子は難産で四十三時間もかかっての出産でしたから、私の妻は、思いっきり難産でした。それに比べて、茂奈さんは分娩室に入って35分ですから、安産という事です。天候を比較すると、晴れた青空の息子と、曇り空の孫という事でした。名前の発表は、家で文字に書くという事で、教えてくれません。ただ36文字という事だけを教えてくれました。
 ところで、赤ちゃんの誕生は本当に不思議です。夫婦生活という小さなことの積み重ねが、大きな偉大な出産という偉業を果たすのです。お互いに夫婦として子供が生まれることを願っているだけで、宝物が生まれるのです。つまり、血統が繋がっていくのです。そして、人間として成長していくのですから、生まれるのも天の配慮であり、生きるのも天の配慮、そして死ぬるのも天の配慮という事でしょう。それだけに、生まれてくる赤ちゃんを見ると、天から出発して天の過程を経て、天が終着駅のように思えるのでした。このようにして、人生が始まり終わるのかという事を、自分の経験値から考えてしまうのでした。このような息子夫婦の出産に立ち会えたことで、人生悪いこともあるのですが、時を過ぎると出産という良いことが巡ってくるのだという実感をさせられました。
 人生には、ある重要な事や、重大なことが起こるのだという実感です。それだから、まじめに誠実に歩むことが素晴らしいと思うのでした。また、ある目的ができて、これを果たすためにも誠実に行いを続けていくのだという気持ちになります。なぜ、誠実に歩むかというならば、このような息子夫婦の出産という、おめでたいことに立ち会えて、多くの感動を与えていただくことができるという、人生を歩ましてもらっているという事です。こうして、夕方暗くなるまで、畑を耕して、充実感に浸る自分の姿があるのです。幸せな感動を自然と共に味わっているのです。天に感謝、自然に感謝、息子夫婦に感謝という事です。